小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

819 救世主がいない政界 落第続きの菅氏の1年

 菅直人氏が94代の総理大臣に就任したのは2010年6月8日だから、あと2週間で就任1年になる。時間の流れがいかに速いかを実感するとともに、彼がこの1年、一体何をやったのかと考える。

  就任直後の唐突な消費税増税発言が影響して、7月の参院選民主党が大敗、その後は党内のごたごた(政争)、3・11へと続き、自身が目指した「救世主」どころか、深く傷つき、いまや菅政権は「風前の灯状態」というのが現実の姿のようだ。

  菅氏は、所信表明演説で、日本の姿を「閉塞した状況」と呼び、これを打ち破ろうと呼びかけた。その柱は「改革の続行―戦後行政の大掃除の本格実施」「経済・財政・社会保障の一体的立て直し」「責任感に立脚した外交・安全保障政策」であり、これらの改革のためにリーダーシップを持った首相になると宣言した。

  では、この3本柱は、この1年でどう実現したのだろうか。私はほとんど変化がないのが実態だと思う。ただただ、政争に明け暮れているうちに3・11が起きてしまい、特に収束の見通しが立たない原発事故の対応に右往左往しているのが現状なのだ。

  菅政権の足元は危うくて仕方がない。しかし、その菅政権を攻め立てる野党の姿も頼りない。昨日の国会で自民党の谷垣総裁は、東電福島第一原発1号機への海水注入が一時中止になった問題で、政府の指示があったのではないかとかなりしつこく質問し、否定する政府との間でやりとりが続き、原発事故で避難生活をしている人たちから「不毛の議論」と酷評された。

  数日前には西岡参院議長が公然と菅首相の退陣を要求する発言をした。これを見ても、厳しい局面にある日本を背負う首相の信頼感がほとんど失われてしまっているとしか思えない。鳩山由紀夫氏が普天間問題で政権を投げ出したあと、菅氏が首相になった当時は内閣支持率も高かった。それも1カ月も持たず、以降は低率を続けているのだから、菅氏の力量不足が見破られてしまったのだろう。

  たしかに菅氏は大変なときに首相をしているといっていいだろう。周囲の人たちと話していても「だれがなっても大震災と原発事故の対応は簡単ではない。合格点を取るのは大変だ」という声が多いのも事実である。だが、国を引っ張るリーダーは困難な局面に遭遇した場合にこそ、その能力、力量が問われる。その意味でいまの菅政権は試験を受け続けているような日々である。これまでのところ、合格点を取ることができない解答の連続と言われても仕方がない。

  いまの政界に救世主がいないことが分かった。とすれば互いの足の引っ張り合いをやめ、一致協力してこの危機を乗り切ろうとすべきだと思う。

  1995年の阪神大震災地震対策担当相を務めた自民党小里貞利衆院議員(80)が、自民党本部の講演で「急流で馬を乗り換えるな」(出典はよく分からない)と、菅首相を退陣に追い込むことばかり優先せず、震災復興で政権に協力するよう訴えたというが、西岡参院議長は「急流を渡れず流されているのであれば、馬を乗り換えなければならない」と主張している。

 どちらに説得力があるのだろう。いずれにしても政界の体たらくぶりに怒り、あきれているのは私だけではないだろう。(サミットに政府専用機で出発する菅首相は不思議なくらい明るい顔だった。東日本大震災福島原発事故対応からしばし離れるという思いが表情に出たのだろうか)