小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

975 日本沈没への不安 ある若者の憂い

画像 「このままでは日本は沈没してしまうのではないか」。希望して入った組織で意欲的に働く若い女性から、最近こんな言葉を聞いた。政治も経済も行き詰まっていて、閉塞社会がどんどん進行しているのではないかと危惧しているのだ。

 特に昨今の政治状況はひどすぎると言う。 「社会保障と税の一体改革」とぶち上げた民主党・野田政権は、党内のまとまりの悪さを引きずり、自民党公明党にすり寄って、社会保障の改革は置き去りにして、消費税の増税にだけ軸足を移した感がある。 提出した関連の法案は相次ぐ自公の修正要求に屈して骨抜き状態だ。野田首相が選挙の時の演説で「消費税5%分の税金に天下り法人がぶら下がっている。

 シロアリがたかっている。シロアリ退治しないで消費税を上げるんですか」と、消費税の増税に反対していたのは、ご承知の通りだ。そのくだりは知り合いの冬尋坊さんのブログに詳しい。 昨今の政界や国会の動きを見ていると「朝令暮改」や「談合」という言葉が浮かんでくる。池井戸潤の「鉄の骨」(講談社文庫)という小説の中で、談合を繰り返す大手ゼネコン関係者が「談合は必要悪だ」と語る記述があった。

 自公との妥協は、野田政権にとって必要悪の事柄なのだろう。それに自民党は悪乗りしている印象だ。 責任の取り方が不明確で安全対策も確立しない中で、野田首相関西電力大飯原発の再稼働へと動き、今度は運転40年を超えた原発廃炉にするという政府の方針(原子力規制関連法案)を自民党の要求で修正することで合意したという。2つの動きを見ていると、東電福島原発事故の教訓が生かされていないことに愕然とする。 1年前、日本は沈没寸前の危機的状況にあった。

 東日本大震災である。そして、福島原発事故によって避難を強いられた福島の人たちは、以前の暮らしに戻ることはできないままに置かれている。この事故について政府、東電を含めてだれも明確な責任を取っていない。 彼女は、こうした無責任時代を「日本は沈没してしまう」と憂いているのだ。同世代の男性が頼りにならないことも彼女には気に入らない様子だ。 昨今、政治不信はひどくなる一方だ。

 3・11は政治不信を脱却する機会を与えたはずだった。だが、当の政治家たちは政争に明け暮れ、被災地の復興は遅れるばかりで、被災者の冷静な行動に称賛の声を送った国際世論も冷めた見方をするようになった。理不尽なことに声を上げない日本人の「国民性」を変え、多くの国民が抗議することを義務と考えるようにならなければ、政治屋集団は反省しないのかもしれない。 写真は盛岡城跡公園の淡紅色のエゴノキの花。昔は、この実を石鹸代わりに使ったそうだ。国会にも何本か植えたら政治の浄化に少しは役立つだろう。