小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

798 再生への曙光 救助された漂流犬

東日本大震災では死者・不明者が2万7500人以上になることは確実だ。被災地が広範囲に及ぶので、動物たちも甚大な数、津波にのまれただろうと推定する。

人と違って、その数は全く予想ができない。そんな中で4月1日に気仙沼市沖で漂流していた犬(中型犬)が海上保安庁のヘリコプターに救助された話は、運命とは何だろうと考えさせられた。

この犬は、海を漂流する家の屋根の部分に乗っているのを発見された。神のいたずらとか、生命力が強い・・・などという月並みな表現を超えて、この犬には命を長らえるだけの何かがあったのだろう。

保護されていた犬は、「バン」という名前の2歳の雌できょうになって名乗り出た飼い主の元へ引き取られた。飼い主の女性も気仙沼市で被災し仙台に避難していたというから、再会できるとは思ってもみなかったのではないか。

2004年10月の中越地震の際にも、母犬と3匹の子犬が16日後に救出されたことがあった。気仙沼の犬はこれよりも長く生き延びたのだから、この先幸せな日々を送ってほしいと願うのは私だけではないだろう。

避難所ではペットは邪魔者扱いされ、飼い主たちはつらい思いをしているという。「バン」を引き取った女性がどんな避難生活をしているかは知らない。可能なら気兼ねなく一緒に生活させてほしいと思う。

こんなことを書いていたら、北海道の知人の女性から「何ができるか、考えて、考えてボランティアとして岩手に行くことを決めました」という内容のメールが届いた。既に秋田行きのフェリーを予約し、得意の車中泊で岩手に入るのだそうだ。「何ができるか、考えて、考えて・・・」という表現からは被災地や被災者を思いやる優しい心根が伝わってくる。

被災地には死者、行方不明者の数だけの「悲劇の物語」がある。しかし、生きている人たちはその悲劇を乗り越えて、新しい明日を迎えなければならない。それは「喪失と再生の物語」でもあり、被災地の再生は国民の大多数が見守っていくはずだ。