小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

788 「帰宅難民」を経験 巨大地震にどう向き合うか

画像 M8・8という信じられないほどの巨大地震が発生し、宮城県栗原市震度7を記録するなど、日本列島は大揺れに揺れた。被害の詳細はまだ分からないが、相当深刻な事態になりそうな予感がする。

 地震発生時、東京都心(港区赤坂1丁目)の8階建ての6階の勤務先にいたが、長く激しい揺れに驚いた。これまでの人生で最大の地震の揺れを経験した。

 自宅に帰る電車がストップしたままのため「帰宅難民」になってしまった。 大きな地震は2回あった。1回目は立っているのができないほど揺れが激しく、机につかまって揺れが収まるのを待った。近くにいた女性は机の下に潜り込んでいる。揺れが収まるまで2、3分以上かかったように思う。

 近くの古いビルの窓ガラスが何枚も割れている。「避難してください」という館内放送で、ヘルメットをかぶって階段を使い外に出た。近くの特許庁屋上にあるアンテナが大きく揺れている。 ワイシャツ姿の人やスーツを着込んだ人、コートを着た人とさまざまなスタイルの人たちが不安そうにビル群を見つめる。

 10数分後、避難解除の連絡でまたビルに入ったが、さらに大きな揺れがあり、再度避難することになった。 家では赤ちゃんを産んだばかりの長女が赤ちゃんと留守番をしている。ようやくつながった電話で「物が散乱して大変だ。早く帰ってきて」と訴えた。電車はJR、私鉄、地下鉄とも全面ストップしているが、念のために歩いて東京駅に向かった。近くに勤めている家族と合流して、食事をする。

 ある程度の時間が過ぎれば、電車は動くと推測したからだ。 しかし、その読みは外れてしまった。都内では多くの人が帰宅の足を求めて歩き回っている。道路はどこも車で渋滞し、ホテルは満室だ。仕方なく、家族とともに赤坂の勤務先に戻ると、どの職場でも数人ずつの自宅に帰る手段を失った「帰宅難民」の姿が見える。

 テレビでは、東北地方の太平洋岸の被害が拡大していることを刻々と伝えている。仙台市の荒浜では、溺れて亡くなったとみられる2、300人の遺体が見つかったという。気仙沼市は火災が広がっている。 たまたま1人は秋田に旅行中で、自宅に2人、東京に2人、秋田に1人と私の家族は分散状態になっている。

 それぞれが安否を心配し電話をかけ続け、無事を確認した。しかし、このブログを書いているいまも余震が続いている。ついこの間、ニュージーランドクライストチャーチ地震があったばかりだ。地震に私たちはどう向き合えばいいのか、家族で話し合う必要があることを痛感している。

 こうした災害の際、携帯電話はつながりにくく、公衆電話の方が確実だ。でも、街の公衆電話は少なくなり、長い行列になっている。携帯電話の全盛時代であることはだれもが認める。しか現実は災害にもろい時代であることを思い知った。

「災害は忘れるころにやってくる」はずだった。しかし、現代の災害事情はそうではない。忘れないうちにやってくるのである。 注記 気象庁は、この地震について、後日「M9」だったと修正発表をした。 画像