小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

765 歴史の舞台・長春映画撮影所 甘粕正彦の軌跡

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 旧満州(中国・東北部)の長春(かつて新京といわれた)にある映画撮影所を訪れたのは、いまから27年前の1984年6月7日のことだった。梅雨のない北海道と同じように空気は乾いていた。

  ここはかつて満映といわれ、アナキスト大杉栄虐殺事件で歴史に名を残した甘粕正彦元陸軍大尉が理事長を務めた撮影所だった。ノンフィクション作家の佐野眞一の「甘粕正彦 乱心の曠野」を読んで、あの広大な撮影所を思い出した。

  当時の日記を読むと、この撮影所訪問はごく簡単に触れている。

長春駅に瀋陽からの列車で到着した私たち(4人の日本人と通訳)は、当時は珍しい日産セドリックに乗って撮影所に向かった。北京でも映画撮影所に行くことは行ったが、撮影の現場は見ていなかった。ちょうど撮影中の小柄で美しい女優と握手を交わしたが、その手は本当に小さい。その感触はいつまでも残っていた」

  長春では、満州皇帝に祀り上げられた溥儀が住んだ皇宮(現在の吉林省博物館)にも足を運んだ。甘粕は清朝最後の皇帝で、日本軍の手によって天津から旧満州に移り、満州国皇帝になる溥儀を営口で待ち受けた一人である。その溥儀が住んだ皇宮は、2階建てのそう大きな建物ではなかった。

  甘粕は、日本が戦争に負け、旧ソ連満州に攻め込んだ後、満映理事長室で青酸カリを飲んで自殺している。甘粕を歴史上の人物としたのは、大杉栄虐殺事件(大杉と内縁の妻の伊藤野枝、甥の小学生・橘宗一を憲兵隊に連行して殺したうえ、遺体を憲兵隊内の井戸に投げ入れた事件)だ。甘粕はこの事件の中心人物として起訴され、懲役10年の判決を受け、千葉刑務所に服役した。

  3年で釈放された甘粕は、旧満州に渡り、謀略活動に従事し、満州国建国にも一役買う。佐野は執拗な取材で甘粕が起こしたといわれる大杉事件を追う。佐野の取材によって、甘粕の人間像が次第に浮き彫りになる。カミソリのような切れ味鋭いが、人には優しい。取材を重ねるにつれ、佐野は大杉虐殺に甘粕が直接手を下していないのではないかという思いを深める。

  佐野は、後半部分で決定的ともいえる証言を得たことを紹介する。甘粕と陸士同期の半田敏治氏が死の直前、息子の敏久氏に「甘粕は何もしていないとはっきり言った」と言い残したのだそうだ。

  佐野は「大杉事件の真相は80年以上秘匿された。それを思うとき、人を威圧し沈黙させる帝国の猛々しさ、事実を風化させ忘却させる残酷さを感じないわけにはいかない」と書き、甘粕犯行説を覆した。真相が分からない歴史的事件や事象は多い。闇に放り込まれた大杉事件も、佐野の指摘が真相なのかどうか決定的証拠はない。しかし、真相に迫っていることは間違いないのではないか。