小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

717 「ローマへの道」紀行(8)完 古代都市を歩いて

画像 悲劇の町、ポンペイについては中学の歴史で習った。紀元後79年の8月24日、ベスビオ火山が大爆発を起こし、大量の火山灰と火山礫がポンペイの町を覆い尽くし、当時の人口1万5000―2万人のうち約2000人が死亡し、街は復興をされることなく、歴史の隅に追いやられる。

 16世紀になって土の中から古代都市の存在が発見され、1748年から発掘が始まった。1997年には世界遺産に登録された。 ナポリにも近く、観光客に人気が高いようで、遺跡の中はごった返していた。

 同行者の中には2回目という人がいて、混雑ぶりに驚いていた。以前はガラガラの状態で、じっくりと回ることができたが、今回はそうはいかない。 どの遺跡も次々に人が押し寄せてくるのだった。いまや南イタリアを代表する観光地になったのだろうか。観光客相手にテレビがインタビューをしていた。画像

 日本はイタリアと同様火山国であり、1991年6月3日には、雲仙普賢岳が爆発、その火砕流で死者行方不明者43人を出す大惨事があった。定年退職して故郷に戻り建てたばかりの家を火砕流に流されてしまった悲運の先輩もいた。

 遡れば1792年(寛政4年)5月21日には同じ雲仙岳眉山の山体崩壊とこれによる高さ50メートルの津波により死者、行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害が起きている。

 浅間山磐梯山の噴火でも多くの犠牲者が出たことが知られている。火山とともに生きるのが、私たちの宿命なのである。 それにしても一つの街全体が埋まってしまうほど火山灰が降り注ぐのだから、自然のスケールの大きさは、人間の想像を超えている。

 ポンペイ遺跡の「公共広場」の後方には、大災害をもたらしたベスビオ火山がそびえている。 現在は標高1281メートルだ。大噴火起こす前はこんな低い山ではなかったのではないか。遺跡を回る。古代の日常生活が浮かび上がってくる。風呂場、居酒屋、水道の蛇口、パン屋の道具……。石膏で復元した人間の姿からは、突然降ってきた火山灰に逃げることもできずに命を落とす絶望の瞬間が浮かびあがる。

 画像 現代に生きる私たちは、大災害の中で逃げ惑った人々がたどった悲劇の街を笑いながら、おしゃべりをしながら、写真に収めながら歩いている。画像 (ローマへの道はこれで終わりです。ナポリ、ローマについて機会をみて掲載します)