小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

686 夏の風景  墓参、花火大会・・・

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 8月15日。終戦記念日。武道館では全国戦没者追悼式があった。NHKニュースは、遺族の高齢化が目立つと報じていた。当たり前だ。戦後65年なのだから。でも、傷ついた人たちの心はまだ癒されていない。

 この夏はとりわけ油蝉の鳴き声がうるさい。酷暑の日々なのである。先日の「若い友人の結婚式」、「姉夫婦と千葉の霊場巡り」に続く「私の夏の風景」を書く。 25年前の8月12日の御巣鷹山の日航機墜落事故は、私にとってもつらい思い出になっている。

 テレビや新聞でこの時期になると、決まったようにこの事故が話題になる。死者は520人に達し、生存者はわずか4人しかいない。日記を調べてみると、ここ10年近く、8月12日にこの事故について触れた記述はない。当事者ではないにしてもこの事故にかかわりながら、悔いの残る仕事しかできなかったことがこの背景にあるのだと思う。

 忘れたいという気持ちなのだろうか。しかし、毎年、御巣鷹の夏は巡ってくる。結婚して1年半で夫を亡くした女性は、当時身ごもっていた子どもを産み、その子どもは青年になった。2人で慰霊登山をする映像、写真が報道された。青年は、父親を写真でしか知らない。残された妻の25年の歳月を想像する。

 翌日、近くの霊園に行く。用意した線香は、火がつきやすく、持っているのもつらいくらいだ。同行した長女は「お墓に来ると、気持ちがやすらぐよ」と言う。小さな霊園は、お盆の最中にもかかわらず、私たち以外にもひと組がいるだけだ。最近のお墓事情はだいぶ変化をしているらしい。ある知人は「お墓はいらない。家族には私の遺灰は海に流してほしいと言ってある」と話している。

 彼は、死すれば人も自然の一部に回帰して無になると信じているようだ。いずれにしろ墓参は一年のうち数回、故人をしのぶきっかけを作ってくれるわけで、私の家族にはかけがえのない時間になっている。 夏は、花火大会が全国で開催されている。別に夏でなくともいいと思うのだが、圧倒的に花火大会は夏が多い。

 秩父夜祭のように、真冬の花火も稀にはあるが、基本的には納涼=花火、盆踊りというのがパターンである。「東京湾大華火祭」は、隅田川花火大会に次ぐ東京の花火大会で、8月の第2土曜日に開催される。ことしは14日がこの祭りにあたり、中央区勝どきにある58階建てマンションの50階に住む知人宅に今年も招待された。

 画像 夕方、友人と地下鉄大江戸線の勝どきで降りる。すごい人ごみの中を地上目指して歩いていると、目の前を前高知県知事だった橋本大二郎氏と奥さんが仲良く歩いている。知人家の招待されたのだろう。

 猛暑の中を橋本さんは、きちんとスーツを身につけている。知人のマンションに入り、エレベーターに乗り込むと、料理研究家平野レミさんがいた。一緒にフランス人のカップルもいる。平野さんを含めみんなが上気した顔をしているように思えた。

 この花火大会の魅力なのだろう。 知人の家のベランダは東京湾に面していて、東京の一番美しい夜景を見ることができる。その夜景を背景に、花火が午後7時から8時20分まで80分間打ち上げられた。その数1万2千発。暑さを忘れて、火の芸術に浸った。何十万人がこの気持ちを共有したに違いない。それも、平和あってこその行事なのである。若い人たちの浴衣姿がまぶしい。 画像  

 子どものころ、故郷でもささやかな花火大会がお盆の期間中にあった。幼い私は母の手をしっかり握りしめながら、川の畔から打ち上げられ、暗い夜空に咲く大輪の花を見続けた。

 それは華麗なる東京湾の花火大会のように連続したものではない。花火と花火の間には、満天の星が輝いている。それはどんな花火大会でも越えることができない、大事な思い出なのだ。