小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

684 3つの観音寺 真夏の巡行

画像  私は、全く信仰心はない。だから関東地方(神奈川、東京、埼玉、千葉、群馬、栃木、茨城の一都六県)に「坂東三十三箇所」という観音霊場があることも知らなかった。

 しかし古寺をめぐることは嫌いではない。姉夫婦の霊場巡りに付き合って三十三箇所の霊場に含まれる千葉県の3つの寺を回った。

 ことしはひときわ暑い夏だ。炎暑の中、寺を訪れる人は少なかったが、心に残る夏の一日になった。 坂東三十三箇所は、源頼朝が発願し、源実朝が西国(三十三箇所)を模範に札所を制定したのだそうだ。第一番札所の鎌倉・杉本寺から三十三番札所の千葉県那古寺までの道程は1300キロといわれる。 車のない時代はかなりの時間を要したが、現在はバスのツアーまであって、三十三箇所を回るのにそう時間はかからなくなった。

 私たちは千葉の3カ所を車で巡った。 土曜日の朝だ。千葉市の「千葉寺」(せんようじ、あるいはちばでら)は人影がまばらだった。山門の前は「大網街道」(県道20号線)が走っている。山門を入ると、大きなイチョウの木があった。画像

 説明によれば、強風で倒れた鎌倉鶴岡八幡宮イチョウよりも大きく、樹高30メートル、目通り直径(目の高さでの木の幹の直径)は8メートルもある。709年(和銅2年)に、奈良時代の僧、行基がこの寺に十一面観音を安置、同時にイチョウも植えたらしい。 坂東霊場の29番目の札所であり、千葉市の象徴的な寺なのだろう。この寺では「千葉笑い」という伝統狂言があり、今も残っているという。

 順番通りなら、30番目の札所である木更津市高蔵寺だが、31場番の笠森寺を先に回った。画像 「笠森観音」といわれ、観音堂は国の重要文化財に指定されている。駐車場から観音堂まで約200メートルの階段を上る。足があまりよくない義兄はゆっくりとロープに触りながら歩いている。 10分程度で上り切ると、平地になっているが、観音堂に行くにはさらに75段の急階段がある。観音堂は回廊形式の珍しい建物で、回廊からは房総の山々の緑が目に入る。ぐるりと回ると、一角は風の通りになっていて心地いい。

 この寺の境内にも菩提樹(3種あるうちの中国原産の木のようだ。ちなみに鋸山・日本寺の菩提樹はインド産だ)があり、7月には黄色い花が咲くそうだ。 芭蕉が「五月雨にこの笠森をさしもぐさ」と詠んだ碑もあるのだが、芭蕉が笠森を訪れた記録はないというから、芭蕉作なのかどうか真偽は分からない。

 でも、芭蕉が来たと思いたい。それほどに笠森観音は風情があるのだ。画像 休むことなく最後の高蔵寺を目指す。途中、「鎌足小学校」前を通った。なぜ、鎌足なのかと思っていたら、寺にはこんな言い伝えが残っていた。 この地方の有力者が子宝に恵まれなかったため、本尊の観音様に祈願すると女の子が生まれ、その女の子が後に藤原鎌足(藤原氏の祖で、大化の改新の立役者)を産んだのという。

 明治以降、この寺がある周辺はれっきとした「鎌足村」だったが、1944年11月に木更津市編入になった。それゆえに今も小中学校の名前などに鎌足の地名が残っているのだそうだ。 高蔵寺は面白い(こう書くと失礼か?)寺だ。本堂の床下を利用した「観音浄土めぐり」があるほか、石でつくった「ドラエモン」や「ピカチュウ」「フクロウ」「中国製のインドから来たゾウ」などが置いてある庭も由緒ある寺としては珍しく、子どもが訪ねても楽しい寺なのだ。画像

 売店と納経帳の朱印のための小さな部屋に行くと、住職が「水がおいしいですよ」と言いながらお茶をいれてくれた。後ろの壁には、押し花の絵(牡丹らしい)が飾ってあった。ニコニコしながら近くにいた奥さんの作品だという。カメラを向けると「そう大層なものではありませんよ」と、住職の謙遜な言葉が返ってきた。 画像