小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

690 「古里」を行く 夏の思い出

画像 古里・故郷の意味は、3つある。広辞苑の解釈だ。その1、古くなって荒れ果てた土地。その2、自分が生まれた土地。郷里。その3、かつて住んだことがある土地。またなじみ深い土地―だという。

 その「古里」(ふるさと)という名前のついた駅があることを最近の旅で初めて知った。 青森県三沢市十和田市を結ぶ私鉄、十和田観光電鉄は、三沢と十和田市を21分で結ぶ単線だ。駅は2つを入れて11しかない小さな鉄道である。

 青森から三沢に向かうJRを三沢で降りて、ローカル色豊かな鉄道に乗り換えた。2両編成。意外に涼しい。なぜなのか。ワンマン運転で、ドアは前方の1カ所しか開かない。だから、暑い空気が入らないのだ。先月の北近畿タンゴ鉄道 とは大違いだ。

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 三沢から十和田市に向かう。電車の両側の窓の外には水田が広がり、さらに少し行くとキクイモの黄色い花が群生している。そして「古里」の駅があった。無人駅である。ここは六戸町だ。奥入瀬川が町の東西を流れ、雪はそう多くはない。自然に恵まれた町であり、まさしく日本の田舎の原風景といえる町だ。

 駅名の由来は知らない。しかし、ゆっくり走る電車の中で、この駅名が似合う町なのだろうと思った。画像 夕方、十和田市の町中にあるレストランに入った。ちょうど1年前、私はラオスにいた。首都ビエンチャン。ホテルの前にあるレストランがなぜか十和田のレストランと似ていた。十和田のレストランには私のほかに、若い女性2人。少し遅れてやってきた50代と思われる3人の男性しかいない。

 隣の席に座った3人の話がいやでも耳に入る。 彼らは夕方なのにアルコールは注文せず、コーヒーとレモンスカッシュを頼んだ。そして、いきなりこんな話になった。

ベルリオーズ幻想交響曲は演奏方法がむずかしいみたいだね」「フルトヴェングラーカラヤンを見いだしたんだよね」「フルトヴェングラーは大学では哲学と数学を学んだそうだよ」「この町でやる音楽会には必ず行っているが、あまり感心しない。いいのはあまり来ないね」―という具合である。3人がどんな職業かは分からないが、学校の先生たちかなあと想像した 。

 十和田市から音楽界の著名人が出たことは知らない。しかし、こんな話を聞いて私はこの町の文化の高さを感じた。だからこそ、いま全国に注目されている「現代美術館」(2008年4月にオープン)のような、面白い美術館が誕生したのではないか。そんなことを考えながら、一人の食事を続けた。画像