小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

674 得難い列車の旅 猛暑の北近畿タンゴ鉄道

画像 北近畿タンゴ鉄道という変わった名前の鉄道があるのを初めて知った。京都から京丹後市の峰山に向かうため、JRを乗り継ぎ、日本三景色の一つといわれる名勝「天橋立」から、この鉄道(第三セクター運営)を利用した。

 たまたま行きに利用したのは特急であり、全く問題はなかった。しかし、峰山から西舞鶴に向かうため乗ったローカル列車で、現代では得難い大変な経験をした。

 それは、赤字ローカル線の「悲哀」としか言いようがないひどい体験だった。このところ、日本列島は北海道を除き蒸し風呂状態の日々が続いている。京都もその例外ではなかった。午後3時半過ぎの峰山駅のホームは、じりじりと強い日差しが照りつけていた。 列車は定刻になっても姿を見せない。

 10分ほど遅れてやってきた一両編成の気道車に乗ると、車内は異様な暑さだった。画像 エアコンは動いているはずだが、全くその効果はなく、車内は外より暑い蒸し風呂状態なのだ。外の気温が35度以上なのだから、車内は40度を超えているはずだ。

 座っていても頭がくらくらする。カバンからペットボトルの水を取り出し、慌てて口に入れる。高校生やほかの乗客たちもぐったりとしている。次の駅から乗り込んできた6、7人の中年の男性グループは「暑い、暑い」を連発し、扇子をパタパタ動かす。

 この列車は窓を開けることができない構造になっているから、乗客たちはただただ我慢するしかない。途中で降りても次の列車までは1時間以上待つ必要があるのだ。暑さでエアコンの効きは悪くなっているにしても、この車内の暑さは異常である。

 もうろうとする頭で、これは何だと考えた。 都市と地方の格差の典型といっても大げさでもないと思う。地方から人は減り、しかも車社会。当然のように地方の鉄道は斜陽化し本数も減り、使われる車両も古い。それが猛暑の利用者にはねかえる。 京丹後市プロ野球で活躍した野村克也さんの故郷だ。(峰山高校卒後、南海ホークスに入り、次第に頭角を現していく)野村さんは、同市の名誉市民になっているが、ここを走る鉄道がこんな悲惨な状態になっていることは知らないだろう。

 峰山から西舞鶴まで約1時間10分。忍耐の時間を送り、西舞鶴のホームに降りると体がふらついた。熱中症寸前だった。画像 最近は知らないが、2007年は第三セクター運営の鉄道では、赤字幅が一番大きかったそうだ。たぶんそうだろうと思った。だからといって、真夏にこんな列車を運行するのは、おかしい。

 人間は荷物ではないのだ。毎日我慢をしながら利用する人たちも同じ国民なのだ。北近畿タンゴ鉄道西舞鶴の改札口を出ると、私の胸には怒りと同時に物悲しさ、寂しさが去来した。