小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

610 キプリングの「少年キム」 この世には多くのうそがありうそつきがいる

画像 ラドヤード・キプリングは、1907年にノーベル文学賞を41歳で受賞した英国の作家である。文学賞受賞者としては最年少で、現在もこの記録は破られていない。  

 英国の作家と言えば現代ではカズオ・イシグロが有名だ。過去にはウイリアム・シェ-クスピア、ウイリアム・ワ-ズワ-ス、アーサー・コナン・ドイル、ブロンテ姉妹、チャ-ルズ・ディキンズ、アガサ・クリスティ-、ルイス・キャロル…とキラ星のごとく世界の文学界に名を成した作家がいる。

 そんな中で、キプリングノーベル賞をもらっているにもかかわらず日本での知名度は低い。だが、その作品は機知に富んでいて、百年という時代を経ても私たちに深い感銘を与えるのだ。

 最近手に取ったのは、1901年に発表された「少年キム」という小説だ。  19世紀のインドを舞台に、インドで生まれたイギリス少年のキムがイギリスとロシアの諜報戦に巻き込まれまがら、チベットの僧ラマとともにインドの各地を旅して成長する物語だ。

 最近、知人が中国の現代小説を翻訳した。文化革命時代を背景にして、農村の少年と僧侶の交流を描いた「仏の孤独」という作品だ。作者の曹乃謙は警察官をしながら小説を書き続けたが、その一作目が「仏の孤独」だった。  

 少年は僧侶を慕い、僧侶も少年を慈しみながら進むべき道を教える。しかし、文革という暴力的革命運動は僧侶と少年を永久に引き裂いてしまうのだ。感性豊かな作品であり、読後には深い悲しみが残った(この作品は日本では出版されていない。曹乃謙の作品としては『闇夜におまえを思ってもどうにもならない 温家窰村の風景』の翻訳本が2016年に出版された)。

 少年と僧侶の物語は「少年キム」のキムとチベット僧ラマとの関係に類似している。しかし、キムたちは引き裂かれることなく苦難の旅を終える。  

 キプリングは、かつて人種差別の持ち主で帝国主義者という見方をされた。「東は東、西は西、両者相交わることなし」という誤解されやすい言葉を残し、1980年代まで評価されなかった。その後、再評価の動きが出て、日本でもようやく1997年に「少年キム」の翻訳本が出版され、それがことし文庫本になった。

「東は東」には続きがある。以下の訳のように東西の理解は可能だと、キプリングは言いたかったのかもしれない。しかし、なぜか冒頭の言葉だけが独り歩きしてしまった。

《ああ、東は東、西は西、両者が出会うことはない、

地と天がやがて神の大いなる裁きの庭に立つ日までは。

だが、東も西もなく、国境も、民族も、生まれもない、

二人の強き男たちが相対するときは、

たとえそれぞれ地の果てからこようとも!》

          「西と東の歌」 

(イアン・トール著村上和久訳『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで(上)』(文春文庫)

 この作品の中で特に印象に残る文章は、解脱を目指す旅の終わり近くラムがキムに自分の生きてきた道を説く場面だ。ラムはかつて高僧にこう言われた。「この世には多くのうそがあり、多くのうそつきがいる。だが、われわれ自身の肉体ほどのうそつきはいない。肉体の生み出す感覚は幻にすぎぬ」  

 自戒すべき言葉ではないか。この作品は自然の豊かさを際立たせるとともに、そこに住む多彩な人たちを登場させ、インドの魅力を存分に描いて見せている。これからインドを旅しようとする人は、読んでおくべき一冊といえる。

『闇夜におまえを思ってもどうにもならない 温家窰村の風景』のブログ