小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

569 「光」と「地」と 桜島の雪の季節に

画像 ことしの世相を表す漢字は「新」が選ばれた。閉塞感の強い時代に、新しいものを求める多くの人たちの思いが凝縮された漢字なのだろうか。(写真をクリックして拡大すると、桜島の冠雪が見えます)

  ことしを振り返って、個人的にはどのような漢字が当てはまるのかを考えた。すると「光」という文字が浮かんだ。

 広辞苑によると、光の意味はいろいろだ。第一義的には光ることや光るもののことであり、あるいは速さ、スピードを意味する。さらに美しい色や人に明るさをもたらす「希望、光明」を示す言葉として使われる。新幹線の「光」もスピードを表わす名称としてよく考えたものだと思う。

  私はこの一年、時間の流れをひときわ速く感じた。まるで「光」のような速さだった。だとすれば、この一年をあてはめる漢字は「光」なのである。

  12月初めのブログにも書いたが、ことしも旅に明け暮れた。つい先日は鹿児島県枕崎まで足を伸ばし、桜島や霧島の頂上付近が冠雪しているのを初めて見た。

 日本列島の四季は、南国の鹿児島の山々にも雪化粧を施していたのである。沖縄から北海道まで続いた旅の終わりは遠い鹿児島であり、美しい自然だけでなく豊かな人情にも触れた。

  それにしても駆け足の一年だった。

  この話を若い友人にしたら「私は《地》です」という答えが返ってきた。その理由とは。友人によると、いままで走り続けてきた感があったが、少し立ち止まって物事を俯瞰する一年になったのだという。

  その結果「大地に立っている生物としての自分を取り戻した」のだそうだ。さらに「ようやく根を下ろす地が固まった。そこに種が蒔かれたようです」という言葉が続いた。この言葉を聞いて、友人の成長を感じ取った。

  私のことしの目標はイタリアの経済学者・パレードの言葉「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く=遠くまで行きたいなら、焦らずこつこつと持続することが大切だという意味だ」のように、静かにこつこつと生きることだった。

  しかし、振り返ると、この目標は半分程度しか達成できなかった。

 それでいいのかもしれない。無理をすることなく、自然に自分に合った生き方をすればいいのである。桜島の冠雪を見ながら、そう思った。

  ことしも多くの人に出会った。ラオスの山岳地帯の子どもたちのために学校づくりに取り組む女性、パキスタンで水道建設に従事する日本の若者の姿はひときわ印象に残った。スペインのサグラダファミリアには、世界的建築物の完成のために汗を流す日本人建築家もいた。NPOの人たちの活動には感心することが多かった。強い目標を持った人間の輝きを感じ取った。

  政治や経済は落ち着きがないままに、この一年も終わりそうだ。そんな歳末だが、ことし出会った人たちの顔を思い出すと心は温かくなる。日本にも世界にも、勇気と信念を持って生きている人は少なくはないのだ。