小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

743 思うままに文章を書いた志賀直哉 「暗夜行路」再読の旅

画像 鳥取、島根への旅の行き帰りの飛行機と電車の中で、完成まで17年を要したという志賀直哉の「暗夜行路」を再読した。

 前編は祖父と母との不義の子として生まれた宿命に苦しみ、後編では結婚した妻の過失に直面する時任謙作という文学者を通して、志賀直哉の人生に対する思いが込められた作品だ。

 後編の大山(だいせん)の自然描写がひときわ心に残った。 ことしはなぜか鳥取に3度出かける機会があり、大山を見ることができた。数年前に反対側の岡山県側から大山を見たことがあるので、私にとって大山はそう珍しい存在ではないが、2月に米子市の小高い米子城跡に上り、雪を抱いた大山を見たときはさすがに視線が釘付けになった。

 それは「日本四名山の一つ」といわれるだけあって、見事なものだった。 城跡の下方には米子の町が広がり、その後方にくっきりと大山がそびえている。そばにはだれもいない。この景色を私が一人占めしたのだった。

 志賀直哉は、あとがきの中で「暗夜行路を恋愛小説だと云った小林秀雄河上徹太郎両氏の批評がある。私には思いがけなかったが、そういう見方も出来るという事はこの小説の幅であるから、その意味では嬉しく思った。

 所謂恋愛小説というものには興味がなく、恋愛小説を書きたいとは少しも思わなかったが、暗夜行路がもし恋愛小説になっているとすれば、それも面白い事だと思った」と書いている。たしかに恋愛小説として読むこともできるが、私には志賀直哉流の人間の生き方に対する問いかけのように受け止めた。

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 夏目漱石芥川龍之介志賀直哉の文章を高く評価していたという。漱石が「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」と芥川に語ったと、阿川弘之が書いている。それが志賀直哉の文章の魅力なのだろう。

 例えば、大山の自然をこんなふうに表現するのだ。

「竜胆、撫子、藤袴、女郎花、山杜若、松虫草、吾亦紅、その他、名を知らぬ菊科の美しい花などの咲き乱れている高原の細い路を二人は急がず登って行った。放牧の牛や馬が、草を食うのを止め、立って此方を眺めていた。所々に大きな松の木があり、高い枝で蝉が力一杯啼いていた。空気が澄んで山の気は感ぜられたが、登り故に却々暑かった。そして背後に遥か海が見え出すと、二人は所々で一服しながら行った」

「彼は石の上で二匹の蜥蜴が後足で立上ったり、跳ねたり、からまり合ったり、軽快な動作で遊び戯れているのを見、自らも快活な気分になった。彼は又此処に来て鶺鴒が駆けて歩く小鳥で、決して跳んで歩かないのに気がついた。そう云えば烏は歩いたり、跳んだりすると思った。(中略)阿弥陀堂の森で葉の真中に黒小豆のような実を一つずつ載せている小さな灌木を見た。掌に大切そうにそれを一つ載せている様子が、彼には如何にも信心深く思われた」

 全く気負いのない文章だ。思うままにこのような文章を書いたのだから、志賀直哉は文章の達人だったといえるだろう。