小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

565 虚業に流れた5億円 五輪招致映像の不可思議

 広告は虚業といわれる。その典型が2016年夏季五輪に 立候補した東京の映像制作費用だ。わずか10分間の映像に要した費用が何と5億円というのである。それを制作したのが日本を代表する広告代理店だという。 なぜ、そんなことになるのか。からくりは分からない。新聞によると、この映像制作の内訳は、海外ロケを含む撮影・編集(2億7200万円)、コンピューター・グラフィックス(CG)制作(8千万円)、企画・ 人件費(5400万 円)、エキストラらの出演料(2500万円)、音楽・ナレーション(1700万円)などだという。いわゆる「ぼったくり」といっていいい。テレビで放送さ れた映像を見たが、どこにそんな価値があるのかと思う。

  ばかな話だが、事実なのである。この根底には「どうせ税金なのだから、適当にやればいい」という考えがあったのかもしれない。たしかに、いい作品(PRを 含めて)をつくるには、カネがかかる。海外ロケも必要だ。それにしても、五輪を大義名分にして、湯水のようなカネの使い方をしたと思われても仕方がない。

  この広告会社にはCSR(企業の社会的責任)という意識がないのだろうか。利益追求は当然にしても、世間の常識をはるかに超えた契約に心が痛まなかったとしたら、 広告会社は虚業の域を抜け出していないといえる。招致委の方も論外だ。カネを積めば、いいものができると思っていたとしたら、大間違いだ。

  現代はだれでもが手軽に映像撮影ができるし、個人、団体を問わず、優れた作品が生まれる可能性は大きい。例えば、広告会社に依頼するよりもPR効果のある作品を募集して、コンテストで選ばれた作品を招致PR用に採用するなどの知恵が働かなかったのか。

  広告会社は、商品の魅力を最大限に引き出すために、さまざまなCMをつくる。その最たるものはコピーライターによる広告文(コピー)だと思う。それは達意の文章でもある。10分間の五輪招致ビデオは、東京で五輪を開催する必要性を凝縮したもので、ある意味では芸術作品であってもいい。しかし、それでも5億円をかける必要は全くない。

  天才バイオリスト庄司紗矢香さんは、音楽だけでなく絵も描くし、映像作品もつくる。幅広い感受性を持っている。彼女の絵と映像の作品展を見て正直そう思った。映像に要した費用は微々たるものに違いない。でも、心に訴えるものがあるのだ。五輪招致で巨額の費用を使った人たちに、あの庄司さんの映像を見せたいと思う。