小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

485 パソコンは消耗品? CSR意識はどこに

 ちょうど5年が過ぎたデスクトップ型パソコンの調子がおかしくなった。立ち上げようと電源スイッチを押すと、内部からいきなりファンが動く音がする。それは次第に大きくなり、いつになってもやまない。もちろん、画面は暗いままだ。メーカーの電話は容易にはつながらない。仕方なくメールをしたら、一日たって5年が過ぎたので、サポートはできないという返事が来た。

 「ただし3千円か4千円出せば問い合わせに応じる、あるいは直接修理も可能だ、その場合はパーツ代などで2万2500円の料金が発生する、この機会に新規購入の希望があるなら知らせてください」と書かれている。

  このメールから「相談をしたければ金を払え、さらに修理するにはこれだけの金額がかかるので、買い換えた方が得ですよ」というメーカーの考え方が伝わってきた。このメーカーは世界的金融危機を引き起こした米国のパソコンの大手だ。なるほどと思い、怒りはなかった。さすがに米国流だ。ここにはCSR(企業の社会的責任)という考え方はなく、ドライでさっぱりしている。

  割り切っているからこそ、価格も比較的安く設定しているのだろう。でも「安かろう、悪かろう」は、いまの時代には(いつの時代でもそうだが)そぐわない。安くても長持ちし、消費者に喜ばれる商品を販売するのが本来の企業の姿のはずだ。その精神がこのメーカーには欠けているとしか思えない。

  電気製品を含め、物には当たり外れがあるという。品質管理が徹底していてもパーツ一つに何らかの不具合があれば、パソコンのような精密機器はどこかで問題を起こす。パソコンの5年は長持ちした方だという見方もできるかもしれない。でも、テレビの寿命の長さを思うと、まだ使えると考えてもおかしくはないはずだ。

  戦後の一時期を除いて、日本の政治をリードしてきた自民党が危機に瀕している。衆議院はきょう解散し、8月30日に総選挙がある。巷間、民主党の圧勝といわれている。自民党の寿命は、私の家のパソコンのように風前の灯にあるのだろうか。これだけ長く続いた自民党政権は修理不能になり、国民は民主党という新しい製品を買うかどうかの選択を迫られることになった。