小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

384 凍てつく朝に 心に太陽を

 ブログ紹介にも書いている通り、ほぼ毎日犬の散歩をしている。そのコースに小さな池があるが、この冬初めてこの池の半分に氷が張っているのを見た。寒さで耳が痛くなり、手袋をしていても手先は冷たい。一年で一番寒い季節なのだから、池に氷が張っても驚くことではない。

  一方で遊歩道に植えられた紅梅はもう花が咲き始めており、朝の散歩は自然の営為の確かさを感じさせてくれる。そんな季節にかつて一緒に仕事をしたことがある若者から連絡があったり、偶然に顔を合わせたりして心が暖かくなり「心に太陽を持て」という詩を思い出した。

  かつて札幌勤務当時同じ時代を送った2人である。1人は新人の南村(仮称)という女子社員、もう1人は神戸から移ってきた大林(仮称)という入社3年目の男子社員だった。2人はコンビを組んで同じ仕事を担当しており、先輩たちは2人の名前を半分ずつ取り「南林」(なんばやし)というあだ名をつけて、ことあるごとに「南林、南林」と呼んだ。2人が抗議しても、それは撤回されることはなく、2人もあきらめたようだった。

  コンビは後輩の南村が釧路に異動して解消されたが、彼女が札幌に戻る際には大林が交代で釧路に行くという「縁」が2人には続いた。その後大林は東京本社の海外担当部門に移り、南村は結婚して子供を育てながら横浜で仕事を続けた。大林は2年間のベトナム駐在を終えて昨年夏東京本社に戻り、南村はその直前に3人目の子供を出産、会社をやめ子育てに専念することにし、北京に異動した夫とともに秋に中国へと旅立った。

  南村は外交官を父に持ついわゆる海外帰国子女だ。彼女が結婚し、子どもが生まれる直前、母親が病気で亡くなるというつらい経験をしている。子どもがいても仕事を続ける意思を貫きたかったようだが、3人目の出産で子どもたちのことを優先するために、仕事を一時断念することにしたという。

  この南村から、今月北京から用事で一時帰国するという連絡があったのは昨日のことだった。今朝の寒さから、南村のいる北京はさらに寒いだろうなと思って電車を降りようとすると、その電車に乗ろうとしたのが大林だった。お互いに驚きながら近況を話した。昨年夏に東京に戻ってきたばかりの大林だが、3月にはロシアのウラジオストクに行くことになったという。ロシア問題を専門とする彼には、新しい任地は願ってもない仕事場になるだろうと思った。

  かつての「南林」は別々の道を歩んでいる。2人の目的を持った一途な生き方を見て、冒頭にも書いたように、ドイツの詩人、ツェーザル・フライシュレン(1864-1920)の「心に太陽を持て」を思い浮かべた。中学の教科書に出ていた懐かしい詩だが、時代を経ても色あせせず、人を勇気付ける言葉の強さを感じるのだ。

  心に太陽を持て。あらしが ふこうと、ふぶきが こようと、天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、いつも心に太陽を持て。

 心に歌を持て。軽く、ほがらかに、自分のつとめ、自分のくらしに、よしや苦労が絶えなかろうと、いつも、くちびるに歌を持て。

 苦しんでいる人、なやんでいる人には、こう、はげましてやろう。「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。」(山本有三訳)