小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

380 日本が燃えた時代の物語 オリンピックの身代金

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 東京五輪が開かれたのは、45年前の1964年10月のことだ。日本は敗戦から19年、経済の高度成長時代に入っていた。復活を遂げた日本の象徴がオリンピック開催だった。しかし、東京と地方の格差はこのころから次第に広がっていく。 直木賞作家、奥田英朗の「オリンピックの身代金」(角川書店)は、オリンピックの開催を妨害しようとする地方出身の東大大学院生テロリストと警視庁の刑事たちの攻防を描いた長編だ。

 昭和という時代が終り、平成に入ってことしは21年目だ。世界同時不況によって、日本も連日暗いニュースが流れている。そんなとき国を挙げてオリンピックという大イベント開催に動いていた時代があったことを思い出して、この本を手に取った。 秋田出身の優秀な東大大学院生の島崎がなぜテロリストになり、オリンピックを妨害しようとするのか。

 奥田は、当時の農村の貧しさから筆を進めていく。 オリンピック開催のため、東京は様々な公共工事が進んでいた。その工事現場で作業に当たるのは、農村からの出稼ぎ者たちだ。島崎の兄も出稼ぎ先の東京の飯場で亡くなり、彼は兄の実情を知るために工事現場に身を置く。 過酷な仕事に従事する中で、ヒロポン覚せい剤)を覚え、マルクス経済学を研究する島崎は、豊かさを象徴する祭典の陰で農村の貧しい現実に慄然とし、オリンピック開催妨害を決意する。

 テロリストになった島崎は工事現場で手に入れたダイナマイトを武器に警察に挑戦し、8000万円の現金を要求する。 1964年という時代背景を織り交ぜながら、島崎逮捕に燃える警視庁捜査一課の刑事たちと公安部の対立、島崎と行動を共にする同郷の老スリとの奇妙な触れ合い、父親がオリンピック警備の責任者の島崎と同級生のテレビ局員を絡ませ、読者に休息を与えないほどストリーの展開は巧みである。

 開会式の最中、聖火台に近付いた島崎。これを追い詰める捜査一課の刑事たち。結末はここでは書かない。報道はないが、このような事件が当時あったとしても不思議ではないような時代だったのではないかと思う。 奥田は1959年生まれで、東京五輪が開催されたのは5歳のころだから、彼自身はオリンピックの記憶はほとんどなさそうだ。

 にもかかわらず、圧倒的な臨場感があるのは、巻末に記されている豊富な参考文献と参考映像を丹念にチェックしたからなのだろう。この作品は、戦後日本の最盛期の姿を鮮明に浮かび上がらせている。