小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

336 あるシャンソン演奏会 母校で出前授業

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 京都に住む友人がある小学校で出前授業をした。彼は京都でシャンソン教室を開いているシャンソン家だ。私たちの母校である小学校の校長先生の依頼で、子どもたちにシャンソンを聞かせたのである。 卒業以来51年ぶりに母校に行き、子どもたちとの濃密な90分を送った。私も仲介役兼司会役として同席したが、思い出に残るひと時を過ごすことができた。

 シャンソン教室が開かれたのは、小学校の体育館で、アップライトピアノにマイクが用意されていた。マイクは2つほしいという彼の要望で先生たちが必死になって、アンプを操作して間に合わせた。午前10時半。体育館に3年生から6年生まで約110人が集まった。 町の女性の教育長や校長先生の話があったあと、いよいよ出番。彼がピアノを弾き、フランス語でシャンソンを歌い出すと、子どもたちは一瞬驚いたような顔をした。

 それはそうだ。日本の子どもたちがシャンソンに接することはほとんどないだろう。だから「これは何なのだ」と、思ったのかもしれない。 一緒に聞いている大人たちの方はというと、声量豊かな歌を聞いてうっとりとした顔をしている。シャンソンには「ラ・メール」(海)や「枯葉」をはじめ名曲が多い。その名曲の何曲かを歌い、さらに子どもたちが音楽の授業で習っている歌も演奏し、一緒に歌った。「おじいさんの時計」「エーデルワイス」「翼をください」などだった。

 途中、同席した隣接の小学校の校長先生に飛び入りをお願いした。音楽を専攻したというこの先生は、美しい声で「愛の賛歌」を友人のピアノ伴奏で歌ってくれた。自分の結婚式の時に、奥さんとデュエットしたという思い出の歌なのだそうだ。校長先生もパリを旅行した思い出を話してくれた。校歌を歌う時には、子どもたちは椅子から起立して声を合わせた。 シャンソンは、大人の歌である。

「心の表現」とでも言おうか。だから、子どもたちには少し難解だったかもしれない。しかし最後に、子どもたちから大きな拍手が送られ、懸命に聴いてくれたのだと確信した。校長先生は「大人が子どもに迎合するのではなく、大人の世界にはこのような分野があることに気がついてくれればいい」と言い、その目的が十分達成できたと、友人に感謝をしていた。 友人も私も故郷ははるかかなたの存在になっている。

 ましてや、卒業した小学校へ行く機会はない。たまたま知り合った校長先生に頼まれ、友人の異色の授業が実現したから再訪がかなったわけで、不思議な縁としか言いようがない。 彼に「シャンソンをやってきて後悔はしていないか。生まれ変わることができたら何をやるか」と聞いてみた。すると、「シャンソンが大好きで全く後悔なんてしていない。生まれ変わったら、またシャンソンだね」と答えてくれた。迷い多い人生を歩んでいる私は、こうした境地に達した友人の存在がうれしくてしようがない。