小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

301 札幌を歩く 喫茶店にて

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 札幌の街を歩く。7月半ば。東京に比べると、温度も湿度も低い。上着姿のサラリーマンの姿が目に付く。 駅前通りは、JR札幌駅から大通りまでの地下道をつくる工事の真っ最中だった。その喧騒がいやで時計台に向かい、すぐ近くの喫茶店に入る。以前2回、合計3年半この街で仕事をした。そのときに入り浸った喫茶店だった。

 周辺には洒落た喫茶店が多い。いまではどこに行っても、セルフサービスの店が増えた。もしかして、このあたりもそういう店になっているかと半信半疑で行ってみる。以前と変わらない店があった。時計台の鐘が鳴っている。

 午後2時だ。それなのに、店は多くの客でにぎわっている。これでなくてはと思う。 苦味がほどよいブレンドコーヒーをじっくりと味わいながら、新聞社の大先輩を思い出した。パイプたばこをくゆらせながら、この店を教えてくれた人だ。酒は飲まない。大のコーヒー党のこの人は、いつも辛口だった。

「○○さん、我々の一番大事なことは批判精神です。これを忘れたら、報道機関はおしまいです」。彼の口癖だった。彼は「迎合」という言葉が嫌いだったのだ。それは私も同じであり、アルコール抜きで話をするのが楽しみだった。本をたくさん読んでいて、生半可な私の知識では追いつかず、ただただ話に聞き入るばかりだったが。

 喫茶店を出て、時計台の前の横断歩道で信号待ちをする。何気なく横を見る。どこかで見た顔がある。「○○さんじゃありませんか」と声を掛けられる。かつて所属していた会社の後輩だった。彼が編集の責任者として、札幌に勤務していることを思い出した。

 別の喫茶店に行った。マスターは手を上げて歓迎してくれる。またコーヒーを飲んだ。彼は仙台も経験し、今度は札幌だ。どちらがいいかと聞く。「それは札幌ですよ」と彼。私も仙台でも暮らし、札幌でも生活した経験を振り返る。やはり札幌がいい。コーヒーのはしごはめったにないが、2つの店とも健在だったのはうれしい限りだった。コーヒーの値段は、両店とも500円だった。

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