小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

183 秋のお花畑 セイダカアワダチソウが群生

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 次第に冷気が増してきて、秋の花は少なくなってきた。もちろん、私の好きなコスモスはいま花の盛りを迎えている。 バラも春よりは花が小さいものの頑張って咲いているし、菊もこれからだ。だが、家々の庭先の花壇は寂しくなりつつある。やはり春の方が気持ちは弾むなあと思いながら散歩をしていると、黄色いお花畑が目に飛び込んできた。あれは何だろう。ああそうなのだ。帰化植物のセイた7カアワダチソウの群生している風景だ。 

 私の家の近くに大水が出た際、その水をためるための調整池がある。池自体は小さい。その周囲は水が出ても許容できるよう立ち入り禁止の遊休地になっている。 さらに池の上には小規模ながら森もある。この遊休地まで水がたまるような大雨が降ったことはない。だから、ここは自然に生えた草が季節によって、いろいろな花を咲かせる。 雑草なのかもしれない。その名前は知らない。けっこう遠目にはきれいに見えるのだ。そして現在。セイタカアワダチソウが黄色いお花畑を形成したのである。

 この花はアメリカからの帰化植物で、日本本来の植物を押しのけて日本各地の野原を席巻した。 その影響は北海道にまで及び、一時はススキに取って代わって秋の植物の代表ともなった。しかし、ススキとの激しい闘いなどによって後退現象の様相を呈している。 だから、散歩コースの調整池もススキが闘いに勝利を収めるかと思っていた。 それが、このお花畑だ。遊休地の真ん中部分に黄色い花が群生し、スクラムを組んでいる。憎たらしい植物と思っていたが、この群生を見ると、その見方を変えてしまう。十分に美しいのである。

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                  (眠そうなはな)

 調整池の周りは遊歩道になっていて、犬の散歩やジョギングをする人が少なくない。そうした人々もセイタカアワダチソウの群生に心が和んでいるのだろうか。 私には黛まどかさんのような俳句を作る能力はない。まどかさんなら一句読むだろうが。だが、空気が乾き、眠気が吹き飛ぶような冷気がある朝の一時、お花畑を見ながら調整池の周囲を歩くのはなかなか気持ちがいい。だから俳句の替わりに「いまはもう秋、誰もいない海」などと、かつてのトワ・エ・モアの歌を口ずさんで歩いていたのである。