小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

182 『川の光』 大人も読める寓話(松浦寿輝著)

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この土日は穏やかな天気に恵まれ、のんびりと犬と自宅周辺を散歩した。森を切り崩して大規模な住宅街を造っている地区があり、ここに棲んでいた動物たちはどうしただろうかと思った。この街に住んで20年になる。宅地開発のために山が切り崩され、緑は私が移り住んだ当時より格段に少なくなった。 この小説に登場するネズミたちと同じように、川の改修や道路づくり、住宅地の拡大などで棲家を追われた動物たちもいたはずだ。それは大都市周辺では珍しいことではなく、動物や植物の受難は続いているのである。 著者の松浦寿輝は、詩人である。さらにフランス文学者(東大教授)であり、「花腐し」で芥川賞を受賞した作家の顔を持つ多芸な人だ。今度の作品によって児童文学者としての一面を見せ、多芸ぶりに一段と磨きがかかったといえる。この小説は、川の改修によって、川辺の棲家を失った3匹のクマネズミの一家(父ネズミと雄の子ネズミ)が平和な暮らしを求めて川の上流へと旅をする冒険物語だ。 このネズミ一家のほかに人間を含めていろいろな動物が登場し、ネズミ一家の危難を救う。一方でドブネズミ帝国を築いている軍団や、子ネズミをさらうノスリ、一家を狙うイタチ、ネズミ一家に石を投げつける人間の子供といった「敵」も少なくない。 しかし、子ネズミの遊び友達で、終わり近くに遠くから駆けつけ絶体絶命の父ネズミを助ける犬のゴールデンレトーリーバーやネズミとは天敵のはずなのに、いつも味方をする風変わりなネコ、ドブネズミ軍団に戦いを挑む正義のドブネズミたち、常に一家を見守るスズメ一家と愛情を寄せるモグラ一家、最後に一家を救う年老いたクマネズミと、気持のいい動物たちがこの物語を支えるのだ。 人間が悪役としてしか出なかったら、この小説を読むことはつらくなったに違いない。ノスリにさらわれ、運よく助かった瀕死の子ネズミの弟を拾い、動物病院に運ぶ少年、そして動物病院の医師夫妻ら動物に優しい人間も登場する。 善人の人間によって、ネズミ一家の希望の灯は消えないのである。そう、この作品は2007年、職場で苦悩する大人やいじめに悩む子供にぜひ読んでほしい小説だ。読者は必ず、背中を押してくれる不思議な力を感じるはずだ。 作者の松浦によると、松浦の家で飼っているゴールデンレトーリーバー「タミー」が実名でモデルとして登場する。雌なのに、自分のことを「ぼく」という不思議な犬なのだが、松浦は「もしタミーが言葉を喋れたら、きっとこんなことを言うに違いないと信じて、この物語のなかのいくつかの情景に書いた」とあとがきで記している。 松浦はさらに「ネズミの旅のお話を書きたいと恐る恐る申し出て」それが新聞小説になったと書く。これは昨年7月からことし4月にかけ、読売新聞の夕刊に連載した。その結果、多くの読者が楽しんだはずだ。忘れかけた家族の絆と友情の大事さを認識させる名作といえる。 松浦流にいえば、私の家で飼っている雌のゴールデンレトーリーバー、はな(5歳)について、彼女の気持ちを代弁する際「おらは」という表現をして、家族から「はなは女の子だよ」と文句を言われている。じゃあ今度は「タミー」と同じように「ぼくは」と言ってみるか。たぶん、非難ごうごうだろうが。 作者はこの物語りの続編があることを予告している。それがいつになるか、期待して待ちたい。