小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

326 人間の根源とは 東野圭吾・さまよう刃

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娘に宿題を与えられた。東野圭吾の「さまよう刃」を読んで、感想を話してほしいと。最近、サスペンスとはあまり縁がない。しかし、あまりにしつこく言うので読み始めた。そうしたらやめられなくなり、一日で読み終えてしまった。 娘が言う。もし、裁判員としてこんな事件を担当したら、どうしたらいいのだろうと。法律と被害者感情は大きく隔たっている。それを東野はこの小説で厳しく問いかけている。 花火大会の夜、主人公の長峰の1人娘が少年たちに拉致される。少年たちは薬を使ったうえ彼女を強姦し、死んでしまった少女を川に捨てる。なぞの電話で犯人の少年の1人を突き止めた長峰は、彼を刺殺して、復讐のために逃走したもう1人の少年を追う。 この小説を読み進めるうちに犯罪被害者がどれほどに心を痛め、犯人に対する憎悪の念を抱いているかが伝わってくる。 長野に潜伏した少年を追って、長峰は長野のペンションを探し回る。それに協力するペンションの女性の存在は、「少年犯罪と犯罪被害者」という暗い主題の作品で救いになる思いがした。彼女も1人息子を事故で亡くした悲しい過去を持つ。 東京に逃げた少年を追った長峰は、ついに少年を追い詰める。そこには警視庁の刑事たちも姿を見せる。結末は予想通り、重くて哀しい。 娘の言うように、もし長峰が逮捕され、起訴された場合(小説の長峰は悲劇的な死を遂げるのだが)裁判員が裁くのはかなり判断が難しい。 現代社会では復讐はもちろん許されない。報復の連鎖になるからだ。しかし事件に巻き込まれ不条理な死を身内がしたとしたら、多くの人が復讐をしたいと思うはずだ。これが人間の根源からの思いかもしれない。 その根源を理解しながらも、冷静、客観的に被告の罪を考えなければならないのが裁判員だ。その責任はすこぶる重い。