小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1960 潔癖症を見習おう 鏡花の逸話を笑ってはならない

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 明治から昭和初期に活躍した作家の泉鏡花(1873~1939)は、『高野聖』や『婦系図』など、幻想的な作品を発表した。もし、鏡花が現代に生きていたら、コロナ対策の大家になっていたかもしれないと、想像する。鏡花は病的といえるほど、不潔を嫌う潔癖症だったからだ。アルコールが飛んでしまうほどグラグラ煮立たせた日本酒を飲んだという逸話も残っている。コロナの第3波が続く日々、鏡花のことを笑うことはできない。

  鏡花の潔癖症は、数え上げたらきりがないほどだ。

 

 1、 豆腐の腐という字が嫌いで、愛用の煙草の「小府」の府をとり「豆府」と書いた。

 2、 刺身はだめ。シャコ、タコ、マグロ、イワシは特に嫌い。魚で食べるのは柳カレイと塩ザケの焼き物。

 3、 ソラマメは一粒食べると一粒分腹が痛くなった。

 4、 春菊には茎に穴が開いていて、その穴に「はんみょう」(昆虫で毒があるのはマメハンミョウ、ツチハンミョウ)という毒虫が卵を産むからという理由で生涯食べなかった。

 5、 お茶はほうじ茶をグラグラ煮て殺菌し、塩を入れて飲む。 

 6、 酒は毎晩2号を晩酌。徳利が指で持てない、唇が焼けるほどの熱燗で、アルコールが飛んでしまう。だから、ほとんど酔わない。

 7、 銀座の木村屋のアン抜きアンパンを好んだが、表も裏もあぶり、指でつまんだところは捨てた。

 8、 リンゴは夫人が手を洗ってから皮をむき、それをもらって頭と尻を指でもって、コマが回るように回しながら横側だけを食べる。

 9、 旅行中は外食ができないので、アルコールコンロを持ち歩いて、汽車の中でうどんをつくって食べた。(車掌に注意され、もめたこともあるという)

 10、 大根おろしは煮て食べた。

 11、 常にアルコール綿が入った携帯用の消毒綿入れを持ち歩いて指先をふいた。

 12、畳でおじぎをするときは手の甲を畳の面に向け、手の甲を浮かせて頭を下げ、町の便所では小便がはね返るからと、使わない。

 

 これを読んで、どう思うだろうか。病的、と片づけることは簡単だ。鏡花が生きた時代はコレラ赤痢が流行し、多くの人が犠牲になった。鏡花自身も赤痢にかかったことがあり、精神科医は「食物異常嫌悪」という強迫観念だと診断している。

  とはいえ、コロナ禍の時代に生きる私は、鏡花の生活姿勢に共感することも少なくない。当時、マスクが普及していれば、鏡花は率先して使ったに違いない。鏡花から見たら、「三密禁止・マスク・手洗い・うがい」などのコロナ対策は、手ぬるいと思うかもしれない。(参考資料『嵐山光三郎文人悪食』新潮文庫』、その他から)

 

 写真は道端に咲いた水仙の花