鏡花の潔癖症は、数え上げたらきりがないほどだ。
1、 豆腐の腐という字が嫌いで、愛用の煙草の「小府」の府をとり「豆府」と書いた。
2、 刺身はだめ。シャコ、タコ、マグロ、イワシは特に嫌い。魚で食べるのは柳カレイと塩ザケの焼き物。
3、 ソラマメは一粒食べると一粒分腹が痛くなった。
4、 春菊には茎に穴が開いていて、その穴に「はんみょう」(昆虫で毒があるのはマメハンミョウ、ツチハンミョウ)という毒虫が卵を産むからという理由で生涯食べなかった。
5、 お茶はほうじ茶をグラグラ煮て殺菌し、塩を入れて飲む。
6、 酒は毎晩2号を晩酌。徳利が指で持てない、唇が焼けるほどの熱燗で、アルコールが飛んでしまう。だから、ほとんど酔わない。
7、 銀座の木村屋のアン抜きアンパンを好んだが、表も裏もあぶり、指でつまんだところは捨てた。
8、 リンゴは夫人が手を洗ってから皮をむき、それをもらって頭と尻を指でもって、コマが回るように回しながら横側だけを食べる。
9、 旅行中は外食ができないので、アルコールコンロを持ち歩いて、汽車の中でうどんをつくって食べた。(車掌に注意され、もめたこともあるという)
10、 大根おろしは煮て食べた。
11、 常にアルコール綿が入った携帯用の消毒綿入れを持ち歩いて指先をふいた。
12、畳でおじぎをするときは手の甲を畳の面に向け、手の甲を浮かせて頭を下げ、町の便所では小便がはね返るからと、使わない。
これを読んで、どう思うだろうか。病的、と片づけることは簡単だ。鏡花が生きた時代はコレラや赤痢が流行し、多くの人が犠牲になった。鏡花自身も赤痢にかかったことがあり、精神科医は「食物異常嫌悪」という強迫観念だと診断している。
とはいえ、コロナ禍の時代に生きる私は、鏡花の生活姿勢に共感することも少なくない。当時、マスクが普及していれば、鏡花は率先して使ったに違いない。鏡花から見たら、「三密禁止・マスク・手洗い・うがい」などのコロナ対策は、手ぬるいと思うかもしれない。(参考資料『嵐山光三郎『文人悪食』新潮文庫』、その他から)
写真は道端に咲いた水仙の花