小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1250 マレーシア航空機撃墜で「藪の中」を考える 現実の機微は……

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「藪の中」という言葉がある。広辞苑には「関係者の言うことが食い違っていて、真相が分からないこと」とある。芥川龍之介の短編小説『藪の中』が、この語源といわれる。ウクライナで起きたマレーシア航空機撃墜事件でも、ウクライナ対親露派・ロシアの言い分が対立している。

 しかし、事件は「ロシアに支援された分離主義者(親露派)の支配地域から発射された地対空ミサイルにより墜落した」(米国のオバマ大統領の緊急声明)との見方が強く、藪の中の状態のままで終わることはないだろう。

 あらためて芥川の作品を読んでみた。この小説は『今昔物語』(平安末期の説話集・作者や成立年は不明)の中の説話などを下敷きにした短編で、1922年(大正11)1月に雑誌「新潮」に発表された。

 丸谷才一によると、芥川はアナトール・フランス(フランスの作家・詩人)に傾倒し、歴史に材を採って、シニックに微笑し、かつ悲しむという手法を学び、『羅生門』『鼻』でも今昔物語の説話を題材にした。

 京都・山科の藪の中で若狭の国侍の死体が発見され、その妻が行方不明になる。検非違使が犯行にかかわったとみる盗賊を取り調べると、夫婦をだまして藪の中へ誘い込み、妻をレイプした後、夫を殺してくれと妻に頼まれ、夫と決闘した末に殺したと供述する。

 一方、清水寺で発見された妻は、木に縛られた夫の目の前でレイプされ、それを見た夫が蔑みと憎しみの目で見たため夫を刺殺し、自殺を図ったが死にきれなかったと話す。 3番目に巫女の口を借りた死霊となった夫は、2人がいなくなった後、自分で胸を小刀で刺して自殺した―と述べる。

 3人とも責任を他人に押し付けるのではなく、自分にあることを認めるが、この事件の真相は分からないまま話は終わっている。吉田精一新潮文庫の解説で「この小説のテーマは、ある事件に対して、当事者たる人間達の各種各様の解釈がありうること、人生の真相とか、現実の機微とかいうものは、一端をもってとらえがたいこと、各人各種の感情や心理に従って、真実はいくつもの姿を呈すること、といったところにあろう」と書いている。

 マレーシア航空機撃墜事件は、親露派・ロシアとウクライナとの間で責任の所在をめぐって非難の応酬が当分続くにしても、うやむやにしてはならない。 ロシアのプーチン大統領が「ウクライナ東部で軍事行動がなければ、この惨事は起きなかった」と述べたニュースも流れたが、私は「世迷言」(訳のわからない繰り言)と受け止めた。

 吉田精一が藪の中の解説に書いた通り、「現実の機微は一端をもってとらえがたい」にしても、撃墜事件の真相が覆い隠されるようでは、東西冷戦が再来してしまう恐れがあると思ったりする。