小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1209 現代の状況を見通していた?ゲーテ 賢明に身を保つこととは

画像「人はいつも考えているものだよ」とゲーテは笑いながらいった。「利口になるには年をとらねばいけないねとね。だが、実のところ、人は年をとると、以前のように賢明に身を保つことは難しくなってくる」―。これはドイツの詩人で作家のヨハン・ペーター・エッカーマン(1792年-1854年)による「ゲーテとの対話」の一節(岩波文庫・ことばの贈物)だ。昨今、著名人による言葉の軽さ、賢明さとはかけ離れた言動が目につく。わが身を振り返っても、ゲーテの言葉は耳が痛い。 エッカーマンは、小説『若きウェルテルの悩み』や詩劇『ファウスト』で知られるドイツを代表する文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年-1832年)の晩年の弟子であり、「ゲーテとの対話」は文学、芸術、個人生活、諸外国の文化など多岐にわたる話をまとめた談話集で、ゲーテエッカーマンとの対話は10年に及んだという。 ソチ五輪フィギュア女子日本代表の浅田真央選手がショートの冒頭、トリプルアクセルに挑み転倒したことについて、森元首相が「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶんです」と語ったことが大きく報道された。帰国後の日本外国特派員協会で外国人記者のインタビューに対し、浅田は「人間なので失敗する。失敗したくて失敗はしない。森さんも少しは後悔しているのではないかと思っています」と答え、このあとテレビ出演した森元首相が「後悔はしていないが、反省というか、娘と孫に怒られた」と述べたことが伝えられた。新聞やテレビの報道を見る限り、私にはどう見ても年齢は3倍以上も離れているのに浅田の方が大人の対応のように思えた ある会合でこの話が話題になった。そしてゲーテの言葉が一人から披露された。これに対し、「前段の『人はいつも考えているものだよ』という言葉は、『人間は考える葦である』(フランスの哲学者、ブレーズ・パスカル=1623年-1662年)に共通するものだね」という感想があり、ある知人はこれに関連して、孔子論語のあの有名な一節を口にし、「こんな生き方をしたいね」と話した。 「吾十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」(私は15歳で学問に志した。30歳で自立し、40歳で心に惑いがなくなった。50歳で天の使命を知り得るようになり、60歳で耳にどんな話が聞こえても動揺せず、腹が立つことはなくなった。70歳になると自分が行うすべての行動は道徳の規範から外れることはなくなった) 「人は年をとるにつれ、その生き方も変わっていく」ものだろう。孔子論語はその指標ともいえるものだ。しかし、ゲーテが言うように、利口になるために年をとることと、賢明に身を保つことを両立させるのは結構むずかしい、というのが会合に参加していた人たちの感想だった。昨今「新老人」や「暴走老人」という言葉が使われ、公共の場で醜態を見せ、凶悪事件を起こす老人も目立つようになった。ゲーテは、こうした現代の状況を見通していたのかもしれない。 「暴走老人」(藤原智美著)考  青木の一途さに脱帽 霧の朝に咲いた皇帝ダリア  そんな朝の暴走老人の話