小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1082 御嶽に向かって 犬山城の天守にて

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 このブログにリンクしている「消えがてのうた part2」の中で、「石垣を登ったはなし」(2012年5月16日)というaostaさんの子どものころの思い出話が載っている。詩情あふれる文章と高島城(長野県諏訪市)と桜の写真は、何度見ても作者の感性の豊かさを感じさせる。

 愛知県の犬山城に行き天守に登った。眼下にはパノラマの風景が広がる。犬山の街の反対側にはゆったり流れる木曽川岐阜県各務原の街並みがあり、その背後には白い嶺の御嶽がそびえていた。そんな風景を見ながら、犬山の街でもaostaさんと同様、城を遊び相手に育った子どもたちがいるに違いないと思った。

 犬山城は、別名「白帝城」とも呼ばれているそうだ。物の本によると、江戸時代の儒者荻生徂徠(おぎゅう・そらい)がこの城が木曽川沿いの丘の上にあることから、長江(揚子江)流域の丘にあった白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで付けたのだという。

 これまでいろいろな城を見た。国宝に指定されているのは世界遺産としても知られる姫路城のほか犬山城、そして松本城彦根城の4つである。いずれも劣らぬ美しさを誇っている。このうち松本城には20 数年前に行き、次いで姫路、彦根と行き、最後が犬山城だった。

 これらの城を抱える4つの市は姫路(約53万人)、松本(24万人)、彦根(11万人)、犬山(7万人)と人口規模ではかなり異なっている。だが、いずれもが「城」があってこその街なのである。

 夕方到着したためか、犬山城には人影がまばらだった。天守から、御嶽の威容を見た私は、ボランティアとして詰めていた年配の男性に「来てよかったです」と声を掛けた。すると、その男性もうれしくなったのか、笑顔を見せながら「ありがとうございます」と言ってくれた。

 1月も終わり近くの厳寒期だが、寒さは忘れて、天守から俯瞰する風景に酔った。 aostaさんは「石垣を登ったはなし」の中で、「私の記憶の中にある高島城址は、なぜかいつも青い草いきれの中にあります。苔むして風化した石垣と、暗く沈んだ水を湛えていた堀、そして広い夏空」と書いている。

 城は、日本の原風景の一つといっていい。城とは無縁の子ども時代を送った私には、正直aostaさんがうらやましいと思う。 犬山城から御嶽を見ていて、田中冬二の「山への思慕」という詩があったことを思い出した。

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 しずかな冬の日 私はひとり日向の縁側で 遠い山に向かってゐる 

 山は父のようにきびしく正しく また母のようにやさしい 

 山をじっと見つめてゐると 何か泪ぐましいものが湧いてくる 

 そして心はなごみ澄んで来る 

 しずかな冬の日 私は暖かい縁側で暖かい日を浴びて 遠い山に向かってゐる

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 御嶽は、私に向かって何かを話しかけてきたように感じた。それは不思議な感覚だった。犬山城に来てよかったと思った。

 以下は「石垣を登ったはなし」

 http://folli-2.at.webry.info/201205/article_1.html