小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1239 故郷の原風景とは 盲目の詩人の静かな問いかけ

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「コールサック」という詩誌に、金沢在住の詩人、うおずみ千尋さん(69)が「盲目の日に」という連載エッセイを載せている。最新号の78号には「故郷の風景―3月11日に寄せて―」と題して、うおずみさんが故郷の福島県いわき市で送った少女時代の思い出について書いている。

  うおずみさんは緑内障が悪化し、視力を失った盲目の詩人である。新聞のインタビューに「東日本大震災後人生観が変わった」と答えたうおずみさんは、エッセイの中で子供の時代のエピソードに触れ、原発事故によって掛け替えのないものを失ってしまったと訴えている。

  エッセイでうおずみさんは「故郷とは何だろう?あの東日本大震災原発事故以来、私の意識に張り付いて離れなくなった想いである」という書き出しで、子ども時代のある思い出を記している。うおずみさんは父親の転勤先のいわき市で生まれ、18年間をこの街で過ごした。その故郷の風景は一枚の絵のように思い出すことができるのだという。

  小学校の低学年だった彼女は真夏のある日、炎天下の中を年子の妹2人を連れて勿来の関に近い海水浴場から砂利道の国道を歩いて家路を急いでいた。歩き続けても家は遠く、3人はのどが渇きへとへとになりながら、家並みが途切れた田畑だけの場所まで行く。その右手には小高い山があり、国道側は赤茶けた岩肌が露出し、地上2メートルのひび割れた隙間から清水が湧いて流れていた。3人は這い上がって思い切りその水を飲んだ。その水のおいしさは格別だった。

  うおずみさんは「この時期に、何十年も昔の湧き水を飲んだ体験が妙に思い出されてくるのは何故だろう?」と考え、以下のように記している。

  

 空気も水も海山川もすっかり放射能に汚染されてしまった虚脱感。表現しがたい悔しさか。故郷なるものが当時のままで在るはずはないのだが、あまりに哀しく残酷な変貌とそのイメージに、大自然の中を走り回って過ごした子供時代が宝物だったことに気付くのである。豊かさを求めた経済発展と共に構築してきた文明のもたらしたこの現実に、今更ながら、海も山も川も清らかで美しく、飲んでも触れても安全だったことの、掛け替えのなさを想うのである。

 

  ことしが生誕100年(1914年7月30日生まれ、1939年3月29日、24歳で死去)になる立原道造の詩集「優しき歌Ⅱ」の中に「夢みたものは……」という詩がある。

  夢みたものは ひとつの幸福 

 ねがったものは ひとつの愛 

 山なみのあちらにも しずかな村がある 

 明るい日曜日の 青い空がある

 

 日傘をさした 田舎の娘らが 

 着かざって 唄をうたってゐる 

 大きなまるい輪をかいて 

 田舎の娘らが 踊りををどってゐる

 告げて うたってゐるのは 

 青い翼の一羽の 小鳥 

 低い枝で うたってゐる

 

 夢みたものは ひとつの愛

 ねがったものは ひとつの幸福

 それらはすべてここに ある と

  こんな故郷の原風景を、福島の多くの人たちは奪われてしまった。