小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

980 いのちの重さを思う時間 3冊の本・がんと闘う友人・マーラーの5番

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 この数日は、密度の濃い時間を送った。毛色の変わった3冊の本を読み、がんと闘う友人と話をし、東日本大震災の被災地にも出かけた。友人は、奇跡的にがんを克服しつつある。それは人間の生命力の強さを感じさせ、大震災以来、暗く沈んでいた心に一筋の光明をもたらしてくれた。

  友人に会う前、偶然に「いのちの砂時計―終末期医療はいま―」(共同通信社社会部編)という本を読んだ。末期がん患者など終末期医療を担当する医師たちの苦悩、小児難病の家族たち、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症という筋肉の委縮と筋力低下になる病気)の患者と家族を取り上げた「いのち」という重いテーマを追った連載記事をまとめたものだ。私も訪れたことがある山谷の在宅ホスピス「きぼうのいえ」や富山のデイケア施設「このゆびとーまれ」も出てくる。

  その前にはテレビドラマで話題の37歳で医師になった川渕圭一の「研修医純情物語」(幻冬舎文庫)を読み終えていた。医療の世界が尋常ではないことを感じさせる本だった。

 そんな本を読んだ後、がんと闘う友人に会う。東京郊外の10階建てマンションの最上階に住む友人は、闘病のやつれもなく、以前とそう変わらない。マンションは3方にベランダがあって、眺望は抜群だ。緑が多く、いつまで見ていても飽きないくらいの風景が広がっている。

  雑談に終始し、2時間近くが過ぎて部屋から出ると、友人が追いかけてきた。「気を使って病気のことを聞かなかったのではないかと思って。病気のことを話すよ」と。

  友人は以前、食道がんを手術した。それから5年以上が過ぎている。昨年のある日、突然腹が痛み出し、黄疸の症状が出た。診察を受けると食道に異変はないが、すい臓にがんが見つかった。食道がんの摘出手術をした医師も立ち会い、すい臓がんの摘出手術をすることになった。腹部にメスを入れ、開腹すると、すい臓だけでなく肝臓にも小さながんがあることが分かったのだ。

  2つの部位の手術は困難と判断され、そのまま手術は中止になった。家族に対し、医師は「このままでは3カ月の命だ」と説明したという。残るは、抗がん剤による治療だった。それが功を奏したのだ。

  さらに、家族はリンゴとニンジン、レモンの汁を絞ったジュースが体力保持にいいと聞くと、このジュースをつくり1日1リットル以上を飲ませた。

  その結果、3カ月はとうに過ぎ、そして1年になった。友人は医師に対し、私はもう何回も死んでいるはずだと冗談を言うほど元気になった。治療の度に記録している腫瘍マーカーの数値も低い値を維持し続けている。友人は、そのうちゴルフの練習も再開したいと言う。その日が近いことを祈りたいと思う。

  帰宅後、クラシック音楽好きな友人を思い、CDでマーラー交響曲5番を聴いた。古いCDで、いまは亡きドイツ出身のクラウス・テンシュテット指揮、ロンドン・フィルハーモニーの演奏による1988年12月13日(ロンドン・ロイヤル・フェスティバル・ホール)のライブ録音盤だ。このころ、テンシュテットはがんと闘いながら指揮台に上っていた。オーケストラのメンバーはテンシュテットとはこれが最後の演奏になるかもしれないという気概で臨んだのだそうだ。静謐な第4楽章が心に響いた。テンシュテット放射線治療を受けながら、その後10年間演奏活動を続けた。1998年1月11日に死去するまで、生涯現役の音楽人生を歩んだ。

  友人に会ってから、被災地の石巻に行った。大震災で甚大な被害があったこの街の復興を願いながら、市内を歩いた。

  この旅の行き帰りに中村弦著「ロスト・トレイン」というまぼろし廃線跡をめぐる小説を読んだ。まぼろし廃線跡岩手県にあり、連絡が途絶えた廃線跡めぐり趣味のベテランを探して若いカップルが森に入るというストーリーだ。被災地の鉄道は大震災のため、痛めつけられた。バス路線に転換したり、あるいは廃線になる路線も出てくるかもしれない。そんなむなしい思いを抱きながら不思議な物語を読み終えた。結末を紹介するのは控えるが、暗い気分が少し解消したことは間違いない。

 

写真:石巻駅