小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

809 ある個人ボランティアの報告 陸前高田で被災者と向き合う

 知人が東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市にボランティアとして入った。札幌から自分の車で現地に向かい、女性を中心にカットのサービスをしたという。報道で被災地の惨状を見て、行動力のある知人はいてもたってもいられず、個人でボランティア活動をする決心をしたのだ。こうした無名の人たちが、いま現地で黙々と働いている。

  知人は札幌市内で理髪店を営む女性だ。休みにはオートバイに乗って遠出をすることもある。愛車のプリウスで北海道内を走るときには、車中泊も平気というから行動力と肝が据わっている。

  今回は、被災地でボランティアをしたいという彼女の考えを聞いた常連客がフェリー代などをカンパしてくれたという。食料、下着類まで被災地に入る準備を整えた彼女はプリウスに乗って18日に札幌を出発。苫小牧から秋田までフェリーに乗り、19日に秋田に到着後、秋田道、東北道を経由して知り合いがいる宮城県多賀城市を経由して、車中泊をして20日に陸前高田市に入った。

  陸前高田は私のいとこが住んでいて、津波の後、1週間安否が確認されなかった。いとこは避難所にいたことが確認されたが、この街の被害が岩手県の中で特に甚大だった。

  知人は理髪店の常連の紹介で、避難所にもなっている特別養護老人ホームに行き、20、21の2日間ひたすら被災者の髪をカットした。1日40人ずつだから、2日で80人になった。気を張ってやったが、仕事でこんなに大勢のカットをしたことはないと、知人は言う。

  知人は、ふだん饒舌である。それが人気で常連客が集まる。趣味が多彩な知人は話題が豊富だ。だが、今回は文字通り、黙々と鋏を動かし続けたという。身内が助かった人たちは比較的話をする人もいたが、当然ながら家族を失った人にはかける言葉は思い浮かばない。

 「震災当日、陸前高田から大船渡にカットに行って、戻ってみたら家族全員が津波で流されていた」「奥さんと子供を失った37歳の男性が自殺した」「体育館で天井の10センチまで水につかりながら、何とか助かった」「ふだんから避難訓練をしているホテルでは地震直後、バス2台で客や従業員らを運び、全員無事だった」「避難途中、おじいちゃんはもう歩けない。わしはいいと言って、津波にのまれた」―という話が耳に入った。車から見た光景は、学校で習った広島・長崎の原爆や戦争の跡と同じではないかと感じたという。

  知人は避難所には泊まらず、車中泊を続けた。そして、このような被災地を見て「感覚がおかしくなった。私など何の役にも立たない。無力だと感じた」と話している。

  そうだろうか。決して無力ではないと、私は思う。壮絶な震災を乗り越えた人たちには、いま、安息が必要だ。そうした時、乱れ、伸びきった髪をカットすることによって、ひとときの安らぎを得たに違いない。政治の世界は相変わらず信頼感が薄い。その一方で、知人のように他者のために尽くす人たちは少なくない。こうしたボランティアたちによって、被災地の人たちも災厄から立ち上がる力を得ているのではないかと思うのだ。