小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

677 カンボジアで生きる元留学生 父親は政治犯で虐殺

画像 カンボジアの旧ポル・ポト政権(1975~79年)時代の大虐殺を裁く特別法廷で26日、人道に対する罪などに問われた元トゥールスレン政治犯収容所所長、カン・ケ・イウ被告(67)の判決公判があり、禁固35年(求刑同40年)を言い渡した。このニュースに接し、一人のカンボジア青年のことが頭に浮かんだ。

  モニラ・ブティさん(32)だ。彼はこの3月、千葉大の大学院を修了して帰国した。彼もまたポル・ポト政権の犠牲者の一人だった。

  75年から79年にかけ、政権を握ったポル・ポト派は市民の少子化を非難し、見ず知らずの若者同士を強制結婚させた。新婦が拒んだ場合はクメール・ルージュカンボジア共産党)の党員らが押さつけて新郎にレイプさせたケースもあったそうだ。

  少子化を非難しながら、ポル・ポト派は知識階級の人々を次々に逮捕し、虐殺した。中国の文化大革命をまねたようなおぞましい政策だった。モニラさんの 両親も強制結婚をさせられる。もちろん、知らない同士だった。彼が生まれるとすぐに、父親の方は知識階級として虐殺された。だから、モニラさんは、1枚の写真でしか父親の顔は知らないという。

  20歳だった母親は苦労してモニラさんを育てる。農業で汗を流し、さらに縫物をやる。息子が勉学に優れていることを知ると、首都プノンペンに出て、スラム街に住みつきながら市場で身を粉にして働き、息子を大学まで進学させた。

  こうして大学を出たモニラさんは、千葉大(理学部、その後大学院)に留学し地下水の研究をした。日本の援助などで、カンボジアに多くに井戸が掘られたが、その井戸が地下水に汚染されていることを知ったからだ。

  留学生活は7年半に及んだ。その間通訳のアルバイトをしながら母親に仕送りを欠かさなかった。カンボジアに帰国したモニラさんは、日本企業のカンボジア支店で働き始めた。同時に地下水対策にも協力したいと思っている。

  モニラさんは「将来政治家になりたい」という夢を持っている。その背景には、父親はじめ多くの同胞を死に陥れた恐怖政治を二度とカンボジアに戻したくないという強い意志がある。さらに豊かな日本で暮らしてカンボジアの貧困を肌で感じ、この貧困から抜け出すために力を尽くそうと思ったからだ。

  今回の判決をモニラさんはどんな思いで見守ったのだろう。判決後、彼は母親とともに、亡き父何かを語りかけたはずだ。