小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

590 土俵の鬼たちよ 朝青龍の引退

画像 相撲の横綱、朝青龍が引退した。酒に酔って知り合いに暴行し、けがを負わせた問題が、外国人横綱の致命傷になってしまった。ふてぶてしい態度から、最近ではヒール役として、スポーツ紙やテレビのワイドショーをにぎわしていた。 25回の優勝は大鵬千代の富士に次ぐ史上3位の大記録だ。しかも、1月の初場所で優勝したばかりだから、力は衰えていない。無念の引退だろうと思う。

「品格なき横綱」といわれたが、いまの相撲界には外国人力士を除いて強い日本人力士は見当たらない。朝青龍が抜けた穴は大きく、大相撲は寂しくなる。 江戸時代、雷電為右エ門という名力士がいた。力士生活21年、本場所36場所で黒星はわずか10敗。勝率は9割6分2厘とあることから史上最強力士という説がある。彼は、なぜか大関のままで引退している。

 雷電は「天明の大飢饉」のころに信州で生まれた。民衆は飢饉に苦しみ、為政者の厳しい年貢に希望のない日々を送っていた。当時の相撲界は藩に召抱えられる男芸者的存在で、なれ合いの勝負が普通だったという。 しかし、角界に入った雷電は、そうした慣習に染まらず、力で相手を次々に倒していく。そんな姿を飯嶋和一が「雷電本紀」という作品で書いている。

 モンゴルから日本にやってきた朝青龍は、ハングリー精神で横綱まで上り詰めた。引退の記者会見で、品格の問題を問われると「皆様方は品格、品格というけれど、正直に言って、土俵に上がれば鬼にもなる気持ちでやるし、 やっぱり精いっぱい相撲を取るという気持ちだった」と話したのが印象に残る。

 それは勝負の世界に生きる者にしか分からない感覚なのだろうか。土俵にあがり、すさまじい勢いで相手を圧倒した雷電も、実は同じ感覚だったかもしれない。「強い」とだれもが目を見張った初代若乃花は「土俵の鬼」といわれたことを思い出した。 引退会見で、朝青龍は涙を流していた。駄々っ子なのにと驚いた。モンゴルからの後輩横綱白鵬も記者会見をして、かつて土俵上でにらみ合った仲なのに涙を流しながら先輩横綱の引退を惜しんだ。

 朝青龍のあの涙はうそではないと思う。冷たく言えば、引退は「自業自得」だろう。 しかし、異文化の国にやってきて頂点に立った彼を不本意な引退へと追い込んだのは相撲協会であり、現代日本の社会風潮そのものではないか。そのお先棒を担いだのは、多くのメディアだった。このままでは、相撲は確実に廃れると危惧するのは私だけではないと思う。

(先日のブログで、小沢幹事長朝青龍のことを取り上げた。小沢幹事長辞職、朝青龍引退という説を書いたが、前者は続投、後者は引退という結論だ。しかし、前者にもまだひと波乱あるかもしれない)