小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

564 現代日本人論 ザビエル時代との変化

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 フランシスコ・ザビエルが日本にやってきたのは1549年のことだ。ポルトガル人のアルバレスという船長の「日本記」という文章によって、ザビエルは日本に興味を持ったようだと、司馬遼太郎が「街道を行く・南蛮のみちⅠ」の中で書いている。

 当時の日本人の性格はアルバレスによると次のようのものだったという。 日本人は、傲慢で怒りっぽい。 欲は浅く、はなはだ物惜しみしない。 他の国について知ろうとする切ない欲求がある。 嫉妬を知らない。 盗むことを憎む。 貴人を斃せば、りっぱな騎士とみなされる。 音楽・演劇を愛する。賭博をさげすむ。宗教心はつよい。 司馬氏は、こうした性格を典型化した伝統的日本人として、熊谷次郎直実、弁慶、塙団右衛門一心太助、森ノ石松、柴又の寅次郎を挙げる。

 さて、現代日本人は、このような性格を有しているのだろうか。 「傲慢で怒りっぽい」は、そのまま引き継がれているようだ。特に現代日本人はさらに「怒りっぽく」なっているように思える。しかし、残念ながら、その怒りはささいな日常で発揮され、強大なもの(権力など)へ向けられることは少ない。

「欲は浅く……」は、かつての江戸っ子気質と共通するが、現代人にはあまり当てはまらない。世知辛い世の中になってしまったからだろう。「嫉妬」「盗み」については、淡泊な国民性ゆえに、欧米などに比して、少ないのではないかと個人的には考える。そのあとは、肯定はできない。「貴人」自体が現在の日本には存在しないし、全盛のテレビ文化(こういう表現が妥当かどうか)はドタバタのお笑い中心であり、パチンコ産業は相変わらず興隆を続けている。

「宗教心」も私に限っていえば、強くはない。初もうでやお彼岸・お盆の墓参りなど、平均的日本人が行う宗教的行事は普通にやっているが、キリスト教イスラム信者のようには、日常的に神を意識することはない。 このように見てくると、ザビエルの時代から560年という時が流れ、日本も変わってしまったと実感する。これは私の個人的感想である。