小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

563 オバマの揺れる気持ち ノーベル賞受賞演説を読む

 オバマ米国大統領がノーベル平和賞を受賞した。ことし1月20日に就任したばかりで、世界の平和に大きな貢献をしたとは思えない。チェコプラハで演説した「核なき世界」を目指すという理想に対する「投資と期待」が背景にあったのだろう。(9月10日の広島・長崎とオバマ大統領参照)

  それだけに、授賞式での演説が注目を集めたのは当然だ。失望の声の方が大きいようだが、私には理想と現実の狭間で揺れるオバマ氏の気持ちが正直に示された演説だと思えた。(演説の内容はアサヒコムより参照)

  ―まず、米国大統領という現実について。

  私の受賞に関する最も深い問題は、私が2つの戦争のただ中にある国の軍最高司令官だという事実だ。これらの戦争の1つは幕を閉じようとしている。もう1つは米国が望んだのではない紛争であり、我々はなお戦時下にあり、私には、遠い地での戦いに何千人もの米国の若者を送り出している責任がある。その中には、殺すことになる者もいるだろうし、殺 されることになる者もいるだろう。だから私は、戦争に代償が伴うことを切に感じつつここに来ている。

  ―次の言葉はいまの米国の政権が抱える悩みである。

  今日私は、戦争の問題について明確な解決方法を持ち合わせていない。これらの困難に立ち向かうには、何十年も前に勇敢に行動した男女が持っていたのと同じ構想力や勤勉さ、粘り強さが必要だということだ。我々は、厳しい真実を認めることから始めなければならない。我々が生きている間には、暴力を伴う紛争を根絶することはできないという真実だ。一国による 行動であろうと、複数国の共同行動であろうと、武力行使が必要なだけではなく、道義的に正当化されると国家が考える場合が出てくるだろう。

 ―非暴力の運動を否定するような以下の表現は微妙なもので、反発を覚える人もいるだろう。私もそのひとりだ。

  マーティン・ルーサー・キング牧師は、ノーベル賞の授賞式で「暴力は決して恒久的な平和をもたらさない。それは社会の問題を何も解決しない。それはただ新たな、より複雑な問題を生み出すだけだ」と言った。私はガンジーキング牧師の信条と人生には、何ら弱いものはなく、何ら消極的なものはなく、何ら甘い考えのものはないことを知っている。 しかし、自国を守るために就任した国家元首として、彼らの先例だけに従うわけにはいかない。私はあるがままの世界に立ち向かっている。米国民への 脅威に対して、手をこまねくことはできない。世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉でアルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない。武力行使がときに必要だと言うことに冷笑的な態度をとることではない。

 ―続く言葉は米国・世界の憲兵説を再確認したものだ。余計なお世話と思う人は少なくないだろう。ベトナム戦争という教訓があるはずなのに。

  しかし、世界は思い出さねばならない。第2次大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけや、条約や宣言だけではないことを。我々は誤りも犯したか もしれないが、事実として、米国は60年以上に及んで自国民の流した血と軍事力によって、世界の安全保障を保証する助けになってきた。米国の男女の兵士に よる献身と犠牲が、ドイツから韓国に及ぶ平和と繁栄を促し、バルカンのような場所に民主主義が根を下ろすのを可能にしてきた。我々がこうした負担を背負ってきたのは、我々の意思を押しつけたいからではない。見識ある自己利益のためで、我々の子孫のためによりよい未来を求めるからだ。他国の子どもや孫たちが自由と繁栄のうちに暮らせたならば、我々の子孫の暮らしもよりよくなるだろうと信じるからだ。

 ―ガンジーキング牧師の非暴力運動を「ヒトラーの軍隊を止めることができなかっただろう」と言いつつ、あらためて彼らの行動を評価する。ここでもオバマ氏の揺れる気持ちが表れている。

 ガンジーキング牧師のような人々がとった非暴力は、いかなる状況でも現実的で可能なことだとは言えなかったかもしれない。しかし、彼らが説いた愛――人 間の進化に関する彼らの根源的な確信、それこそが、常に我々を導く北極星であるべきなのだ。なぜなら、もし我々がこの信念を失ったら――その時我々は人類にとって最善のものを失ってしまう。我々は可能性への意識を失う。我々は倫理の羅針盤を失う。

  ―結論。いま世界は「戦争・温暖化という環境問題・同時不況という経済問題」の三重苦状態にある。 どれ一つとっても、米国主導で解決できない状況にあることは言うまでもない。先行投資で平和賞を受賞したオバマ氏の肩の荷は重くなるはずだ。それでも、核なき世界、戦争のない世界という理想を追求してほしいと願わずにはいられない。