小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

533 藤沢周平とともに 鶴岡を歩く

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 鶴岡も米沢と同様、城下町(庄内藩)としての歴史がある。そして、鶴岡を有名にしたのは、作家の藤沢周平だった。 市内に「大寶館」という市立の人物資料館がある。そこには、鶴岡に縁の深い人たちの資料が展示されている。高山樗牛丸谷才一中田喜直らに混じって当然藤沢周平のコーナーもあった。そこには藤沢らしい手紙が展示されていた。 (写真は大寶館)

 1994年のことだ。有名作家になった藤沢周平に対し、鶴岡市長から名誉市民になってほしいという打診があった。それを断る直筆の手紙だった。メモを執ると、次のような内容だった。

 主義主張でせっかくの栄誉をおことわりするほどえらくはありませんが、 私はかねがね作家にとって一番大事なものは自由だと思っており、世間にそういう生き方を許してもらっていることを有難く思っておりました。市長さんのおしゃる名誉市民ということはこの上ない名誉なことですが、 これをいただいてしまうと気持だけのことにしろ、無位無官ということでは済まなくなり、その分だけ申し上げるような自由が幾方か制限される気 がしてなりませんので、せっかくの打診ではございますが、辞退させていた ただきたいと思います。

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              (史跡・藩校致道館)

 藤沢周平の孤高の精神、あるいは奥ゆかしさだと思ったが、彼は直木賞吉川英治賞菊池寛賞など文学賞のほかに、名誉市民を断ったあと東京都文化賞や紫綬褒章を受けている。(亡くなったあとは山形県民栄誉賞も受賞)なぜ、故郷の鶴岡の名誉市民になることを断ったのだろうか。鶴岡時代の苦い思い出があったからという指摘もあるが、藤沢が亡くなってしまっているので、真相は分からない。

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               (鶴岡公園

 そんな経緯があるにもかかわらず、大寶館は名誉市民的扱いで藤沢周平の資料を展示した。それだけではない。鶴岡城跡の鶴岡公園内に「藤沢周平記念館」が建設中で、来年春にはオープンする予定だそうだ。2008年に着工し、本来ならことしオープンするはずだったが、準備に予想以上時間がかかっていると市は説明しているという。

 米沢から鶴岡に移動する際、紅葉の山々を見た。外はひんやりとし冬の足音がすぐ近くに聞こえるようだった。鶴岡は天気はいいが、空気が澄んでいて肌寒さを余計に感じた。それはブームの米沢に比べ、観光客の姿はほとんどいなかっからだ。これでは10億円以上の予算を投入する藤沢周平記念館は、人を集めることができるのだろうかと考えた。

 米沢も、鶴岡もJRの駅から観光名所まではやや遠いのが難点だ。駅前周辺の特徴のない風景だけを見ると、ここが歴史ある城下町とはとても思えない。それが残念に思えた。

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             (カトリック教会天主堂)