小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

457 真っ白いピアノ演奏 辻井伸行さんの偉業

 芸術の世界で頂点を極めることは、並大抵ではできない。たぶんに持って生まれた才能に大きく左右される。その豊かな才能の持ち主を天才ともいう。米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)も数少ない天才の一人だ。辻井さんは全盲のピアニスト。同じ障害を持った音楽家にはバイオリンの和波孝禧さんやピアノの梯剛之さんが知られている。小さいころから神童と言われてきた辻井さんの才能は、大きく開花した。

  新聞の談話で辻井さんを12年間教えた東京音大講師の川上昌裕さんの談話が目に付いた。これだけの賛辞を受ける人はそういない。「聴覚感覚がずばぬけていた。運動神経もよく、名人芸的な高い技巧を持ちながらてらわず、その音は純粋で真っ白いイメージ。ハンディを全く感じさせず、次から次へと難しい課題に挑戦し、どこまでも頑張る姿に驚かされた」

 「純粋で真っ白いイメージ」とは、どんな音なのだろう。透明感にあふれ、聴く者の心にストレートに伝わるメッセージがあるのだろうか。辻井さんは楽譜を点字で読むのではなく、耳で聞いて覚えるのだという。初めて人前で演奏したのは長嶋茂雄さんの誕生会のことであり、長嶋さんの喜びように励まされたとも語っている。

  ベートーベンは26歳で聴覚を失いながら、その後に交響曲3番(英雄)をはじめとする傑作を次々に作曲したことで知られる。ベートーベンの障害は、専門用語では「中途失聴者」と言うそうだ。障害があっても人間は強い意志があれば、才能を開花させることができることをベートーベンは証明して見せたのである。

  きょうは6月8日。東京・秋葉原で7人が殺され、10人が負傷した「通り魔事件」からちょうど1年になる。新聞には、この通り魔事件で犠牲になった東京芸大の武井舞さん(当時21)の同級生で親友だった吉武優さん(23)が新人音楽家の登竜門である飯塚新人音楽コンクールのピアノ部門で1位になったという記事が出ていた。

  飯塚さんは亡くなった武井さんに対する感謝と鎮魂の思いを込めて演奏したそうだ。それはどんな演奏だったのだろうかと想像する。涙が出るほど、心に響いたはずだ。それは武井さんにとっても忘れることができない演奏だったに違いない。

  同じピアニストとして、2人はこのあとどのような道を歩んでいくのだろうか。あふれる才能をさらに伸ばし、世界の人々にその感性を伝えてほしいと思う。