小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

451 村上本はなぜ売れる 居酒屋談義

 村上春樹の新刊本「1Q84」が発売され、出版元の新潮社によると発売前からの予約を含めて4刷り、68万部の発行部数になったという。

  この本が発売になった5月29日夜、私は友人と居酒屋に行った。私たちの隣のテーブルには、文学好きと思える中年の男2人がいて、村上春樹の新刊本発行を話題に声高に話をしている。聞きたくなくとも耳に入る。

  A「村上春樹の新しい本が出たのが話題だな。題名が村上らしくて変わっているな。イチキュウハチヨンと読むのだそうだ。私はイチキュウではなく、アイキュウとばかり思っていたよ。どんな意味なのかなぁ」

  B「新潮社の売り方がうまいんだな。発売まで内容を一切出さないから、村上ファンはつい買いたくなって予約する。それをマスコミが報じるから、これは買わないと遅れると思ってしまうのかねぇ。スポーツインストラクターと予備校教師の2人を主人公に交互に物語が進行する作品らしいね」

  A「じゃあ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)と同じ手法だね」

  B「出版不況がずうっと続いていて、活字離れが激しいと聞いているのがうそみたいだな。まあ、日本人の一過性を裏付ける現象だな。若者の間では、この本を読まないと遅れてしまうという感じがあるのかしら。それとも、多くの人をひきつける大きな魅力があるのだろうか。私にはよく分からないんだ」

  A「そういえば、かつて『朝日ジャーナル』を持つのが若者のファッションだという時代もあったね」

  B「ということは、村上春樹の新刊本もその類なのかな」

  A「うちの娘が彼の熱烈なファンなんだよ。今夜家に帰ったら、娘に聞いてみるか。でも、村上春樹の本を読むのはファッションなのかいなんて聞いたら、怒られるかもしれない」

  B「君は村上の本を読んだことがあるのかい」

  A「何冊か読んだよ。面白いと思ったものもあるし、訳が分からず、途中で投げ出した本もあった。村上ワールドという言葉があるのだから、やはり独自の世界があるんだな。それがたまらないと思う読者がいるし、逆に理解不能と相手にしない人もいるわけだ。私は中間だな」

  B「実は私『ノルウェイの森』しか読んでいないんだ。430万部の大ベストセラーになった本だよね。ベストセラーを私は読まない主義なんだけれど、これだけは読んでしまった。けっこう面白く読んだ記憶があるよ。彼が翻訳した本はかなり読んでいるよ。その翻訳がうまいので、さすがだと感じているんだ」

  A「エルサレム賞をもらったときの記念講演も今回の売れ行き好調につながっているのかもしれないな。『高くて硬い壁があり、壁にぶつかって壊れる卵があるとしたら卵サイドに立つ。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても卵サイドに立ちますと』いうあれだな」

  B「でも、ほかの作家はかわいそうだね。いい作品を書いてもほとんど売れないのが現実だよね。ところで、村上が芥川賞をもらっていないことを君は知っていたかい」

  A「私は芥川賞をもらっていたと思っていたよ。そうか、もらっていないのか。それは面白いな。娘がアマゾンで買うと思うので私も借りて読むかもしれないが、君はどうするの」

  B「たぶん、すぐには買わないな。最近は文庫本が出るのも早いので、そのときに読むかもしれないなあ」

  2人はここまで話すと急に話題を変え、会社の上司の悪口を言い始めた。文学論議から上司の悪口への転換に私は戸惑った。居酒屋では村上春樹の話より会社の話の方が向いているのは間違いないのだが、話題の変わりように驚いたのだ。2人の脇に置いてある書類袋には日本を代表する銀行の名前が入っていた。