小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

399 村上流発想の妙 エルサレム賞受賞に思う

  私が「エルサレム」という都市の名前を覚えたのは、小学5年生のころだと記憶する。学芸会に「善きサマリア人」という劇を私のクラスが演じた。サマリア人は、イスラエル人とアッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々とその子孫のことをいうが、聖書の中に「善きサマリア人」という逸話がある。

  逸話の内容は省略するが、不利益を被ることを顧みずに人助けをする行為について書かれているのだそうだ。この難しい劇を、当時の学芸会でなぜ取り上げたかは分からない。しかし、この劇で「サマリア人」や「エルサレム」という言葉が出たことが頭に刻み込まれたことは間違いない。子どものころの記憶力はすごいと思う。

  それはさておき、現代の日本人作家でノーベル賞に一番近いといわれる村上春樹が人間の自由や社会、政治などをテーマに作品を書いた作家が対象のイスラエル文学賞エルサレム賞」を受賞した。そして、受賞者はエルサレムの授賞式で記念講演をするのが通例だ。

  日本ではイスラエルのガザ侵攻という戦争犯罪を肯定するものだと受賞を辞退するよう求める動きがあったが、村上はあえて授賞式に出席し、講演をした。しかし、反対があったことを踏まえて「私は人に言われたことと正反対のことをする傾向がある」と語り、さらに「高くて硬い壁があり、壁にぶつかって壊れる卵があるとしたら卵サイドに立つ。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても卵サイドに立ちます」と述べたのだ。

  村上はイスラエルハマスの戦闘に言及し、イスラエルに非があることを強調したのだ。過去には受賞が決まりながら,パレスチナ問題に対するイスラエルの姿勢を批判して、イスラエル入りしなかった作家もいたというから、村上の勇気ある行動は注目を集めた。

  彼はこれまであまりメディアに出ないので、イスラエルから届いた映像で初めて村上春樹の実像を見た人は少なくないはずだ。私もその1人である。高くて硬い壁と卵の比喩は、隠喩(メタファー)の修辞技法を使った村上的表現だと思う。

  村上の作品は奇想天外でもある。そこに魅力があるのだ。今回の「受賞作戦」も大胆な発想で、彼らしいと感じた。私も壁にぶつかる卵の側の方が好きである。彼が途中から長編作家になったために、何度も候補になりながら芥川賞(中篇が対象)は受賞していない。芥川賞を受賞しても伸び悩む作家も多く、選考委員の目もそんなに鋭いものではないなという思いが強い。