小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

396 桜が咲く丘にて いつか来た道を

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 汗ばむような陽気が続いた。昨日は陽気を通り越して、2月としては気象庁の観測史上初の夏日を記録した。沖縄ならまだしも本州で2月にこのような天気はやはり異常としか言いようがない。 この陽気に誘われて、けさも自宅の前の遊歩道には散歩の人が次から次へと姿を見せていた。私もhanaを連れて、この街を見下ろす小高い丘まで散歩した。

 この丘には、かつてただ1軒の農家があった。急速に開発されたこの街から農家はいつの間にか姿を消した。しかし、街の中央にある丘には「絶対立ち退かないぞ」という、雰囲気の農家があった。その敷地と畑は学校の校庭2つくらいの広さであり、家自体はかなり古い建物だ。 街の開発とともに、古い住宅や農地が次々に変化を遂げた。そして、マッチ箱のような狭い家並みが出現して行く。小高い丘の家だけは孤高を守っていた。ある意味では、開発に抵抗する家族かと思った。

 そうかどうかは分からない。何年かが過ぎて丘の上の農家は移転し、残された樹木を除いては広場になった。「ゴネ得」をしたのかどうか。この広場に河津サクラも植樹され、春の楽しみになった。 その河津サクラがもう満開なのだ。どう見ても早いと思う。先日訪問した沖縄では、ちょうどこのサクラが満開だった。沖縄とこの辺では季節の移ろいは約2か月違う。それなのに、時間の変化がないままに、沖縄に続いて関東でもこの桜が咲いてしまったのだ。

 咲いてしまった、という表現は、はすっぱ過ぎるのかもしれない。でも、ここを歩くとかすかな香りがするのだ。hanaも、うれしそうな顔をしながら丘の上で私をぐいぐいと引っ張る。昨年も桜が咲く季節にこの丘にやってきた。いつか来た道を歩きながら、桜を楽しんだ。