小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

321 8月(13)完 少年の夏 3つの森を越えて

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 ある友人と酒を飲んだ。彼は、子ども時代のことを懐かしそうに話してくれた。孤独ではあるが、自然の中で育った友人。しかし、いまはそんな少年時代を連想することは難しい。人には歴史がある。だから、人生は面白いのだろう。都会育ちの私にはとても想像ができない世界で、うらやましい。以下は友人の話だ

 少年時代の夏休みの終わりには、生家から1時間ほどの小高い山に1人で登るのが習慣になっていた。その山は、3つの森を越えた先にあるからかどうかなのかは分からないが、「三森山」という名前がついていた。途中はもちろん、山頂でも人に出会うことはなく、少年の私は将来を夢想しながら、のんびりとした時間を送った。

  山へ行く途中には、カブトムシやクワガタが好き放題取れる林や昔の金鉱石を採取した跡の洞窟もあった。その中はひんやりしているが、穴の中からだれかが出てくるような感じがして鳥肌が立つ。ここに1人で長くいることはできなかった。

  それからアブラゼミ、ツクツクホウシ、ミンミンゼミがうるさいくらいの山道を上り始める。少しずつ視界が開けてくる。その解放感が好きだった。小学生低学年のころは、兄に連れられてこの山に登った。はっきりしたことは覚えていないが、「あの山からは富士山や海が見えるかもしれない」といわれ、それを信じて兄の後を追って頑張ったのかもしれない。しかし、富士山はもちろん海も見えなかった。

  それでも、小学生高学年になると、夏休みの終わり近くには、必ずこの山に1人で登った。天気さえよければ、2つの憧れが実現するかもしれないと信じていたからだ。それは、実現不可能なことだった。富士山からは遠く離れた地方に住んでおり、この低い山からでは海を見るのは不可能だった。そんな常識を当時は知らなかったとしか言いようがない。

  この山には、中学時代を終えるまでは登り続けた。さすがに中学生になると、2つの願望は実現ができないことは分かった。それでも何となく、夏休みの行事として山に行った。山頂に立つと、私の生家の方が小さく見えた。土蔵の白い壁が目にとまる。

  その先は山並みが続いている。あの山並みの先にいつかは出て行くのだと、漠然と思った。時には付近にある木の枝に上って、空の雲を眺めたりした。だれにも邪魔をされない時間だった。

  生家を出て以来、もう数十年の月日が経過した。この山には中学以来登ってはいない。たまに帰郷すると、昔と変わらないままの山の姿を見ながら、子どものころを思い出したりする。そこには、緑に包まれた山道を口笛を吹いて軽い足取りで歩いている私がいる。