小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

308 芥川賞「時の滲む朝」 挫折と再生の青春

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 中国の地方で育った2人の天安門世代青年の挫折と再生の物語だ。テレビに映し出された戦車の姿を今も忘れることはできない。天安門で学生や市民に銃を向けた鄧小平の強硬な政治姿勢は世界に大きな衝撃を与えた。それだけに重厚な作品を想像して手に取った。だが、その想像は外れていた。

 前半は名門大学に進学して民主化運動に入った2人が、天安門事件後に飲食店で労働者と騒ぎを起こして大学を退学処分されるまでの「希望の門出と挫折まで」を記している。その後2人は日本と中国に別れ、後半は日本にやってきた青年の歩みを中心に描いている。重いテーマにもかかわらず、重厚さはない。大上段にふりかぶるような作品でもなく、淡白な青春の記録なのである。。

 自らも「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、現在選考委員でもある石原慎太郎東京都知事は、この作品について「天安門事件がもたらした残酷で、政治のもたらす人生の主題について書かれていないのでもの足りなかった。通俗小説の域を出ていない」という感想を述べたと報道された。 その指摘はたしかに正確だろう。天安門事件に関しての表現があっさりとしていて、学生たちの切迫した思いがあまり伝わってこない。

 天安門広場の描写は1頁半しかないのだから。 それにもう一点、途中までは主人公は2人のはずが、天安門事件後は1人に絞られるのも気になった。それなら、最初から主人公を1人に絞った方がよかったのではないかというのが私の感想だ。 作者は日本に住む中国人の楊逸さん。難解な日本語は使わず、平易な文章だ。こくがないといえるかもしれないが、読みやすさという点では、最近の芥川賞作品では傑出しているようだ。

 外国人が日本文学に挑戦して、日本語で作品を仕上げるということ自体が珍しく、選考委員もそれをかなり意識したに違いない。重い主題を、この作品のように比較的軽い筆致で書くのも一つの技術なのだろう。 私は最近の芥川賞作品は、受賞直後には読まないことにしている。宣伝に乗って読んでみると、奇をてらったような作品が多くて鼻につくからだ。

 今回はそれを破って読んだのだが、心に響く作品かどうかという意味では、評価は難しいと思った。 だが、外国人がここまで分かりやすい日本語で、しかも一気に読み進めることができるストーリーを組み立てた力量は敬服に値する。北京五輪開幕直前という時期での発売は、タイムリー(文春は商売上手といえる)で話題になるはずだ。