小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

278 ひとすじの道 医師たちの苦闘

  イギリスの作家でA・J・クローニンを知っている人は少なくなったかもしれない。医師として歩んだクローニンは、いつしか文学に志し、イギリスのベストセラー作家になる。日本では、竹内道之助が翻訳し、全集が出版されている。自伝的な話が数多く書かれている。それは、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に通ずる医師とは何かを考えさせてくれる小説だ

 「ひとすじの道」は、クローニンの自伝的長編小説『人生の途上にて』の中の2つをまとめたものだ。若い主人公がイギリスの田舎町の町医者の所に雇われ、苦労しながら成長する。

  町医者も主人公も私は好きになった。町医者は酒が好きでけっこういい加減だし、主人公はひた向きすぎる。それが失敗にもつながるのだが、それはそれでいい。

  医者の理想は何だろうか。出発点はいろいろだろう。親が医院を営んでいるので、その子供も跡を継ごうとするかもしれない。大事な人を早くに失い、失意の中で少しでも命を救おうと思ったのかもしれない。頭がよかったので、たまたま医学部を受けたら合格した人もいるだろう。

  スタートはどんなでもいいと思う。だが、大事なことは、医は仁術であり、ヒューマニズムが第一なのだ。中国やミャンマーでは、いま多くの命を守ろうと、医師たちが苦闘の日々を送っている。(注・この年、ミャンマーではサイクロン、中国では四川大地震が起き、多くの犠牲者が出た)

  医者はともすれば、患者を見下す。それは、勘違いなのだ。そうした思い違いをしている医者はクローニンの作品を読むべきだと思う。

  少年時代、ある病気で入院した。そのときに出会った医者は恐い顔をして、口も悪い。私は家族が来ると「あのくそ医者!○○太郎」と医者の名前を呼び捨てにして悪口を言った。彼は苗字よりも、名前で「○○太郎先生」と呼ばれ、評判は悪くはなかった。口は悪くても実は心は優しく、クローニンの小説の町医者によく似ている人だった。