小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1160 心和む曼珠沙華 あまちゃん終わり、やがて悲しき

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曼珠沙華抱くほどとれど母恋し」(中村汀女)=彼岸のころは野一面に、曼珠沙華が真っ赤に咲いている。作者は娘の心にかえって、それを両手いっぱい摘み取った。その心の高ぶりが、母の思い出をさそうのである(山本健吉編、句歌歳時記秋)。 早朝の散歩で池のほとりを歩いていて、曼珠沙華がたくさん咲いているのを見つけた。このあたりはよく歩いているのだが、一面にこの花が咲いているのに遭遇したのは初めてだった。 曼珠沙華は、別名、彼岸花といい、こちらの方で呼ばれる方が一般的かもしれない。文字通り、秋の彼岸のころに急に茎が伸びてきて、花を咲かせるので、こう呼ばれるのだろう。先日、NHKのラジオ放送を聴いていたら、アナウンサーがこの花は全国的に同じ時期に咲く珍しい花だと説明していた。この花を見ると、本格的な秋の訪れを感じる人が多いかもしれない。私は中村汀女の句で郷愁を覚えた。母とともに墓参りに行く途中の路傍にも、この花が咲いていたからだ。 ストックホルムで開かれていた国連の気候変動に関する政府間パネルIPCC)が、今世紀中に地球の平均気温が最大4・8度、海面水位が同82センチ上昇するという第5次評価報告書をまとめた、というニュースが新聞に出ていた。しかも、1950年以降の気温上昇の原因の95%以上が人間の活動によるもので、生態系へ悪影響を及ぼす海洋酸性化が進行するのもほぼ確実だという予測も付け加えている。地球環境の変化を裏付けるように、北海道近海周辺でもこれまではほとんど獲れなかった九州や四国近海に多い魚種が網にかかるようになったという。人類のあくなき利便性の追求が、自然環境に大きな影響を及ぼしているのは間違いない。温暖化対策がきちんと実施されなければ、曼珠沙華の開花の時期も変動してしまうかもしれない。 それにしても、美しい花を見るのは心が和む。だが、花の終わりは寂しい。曼珠沙華にしても花が散り、土に戻る日は遠くない。芭蕉が「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」=鵜飼見物は(飲んで騒いで)本当に面白いが、終わってしまうと寂しくなってしまう=と詠っているように、楽しい時が過ぎると、ふと一抹の寂しさがやってくることは、だれでもが知っている。 NHKの連続テレビ小説あまちゃん」が27日で終わった。新聞の社説にもなり、夕刊の1面で最終回となったことを取り上げた新聞もある。東日本大震災の被災地である岩手県を舞台に、若者にも興味深いストーリー展開が人気を集めた背景にあるのだろう。2歳8カ月になる孫娘は、このドラマで流れていた歌を覚え、時々口ずさんでいる。ロケ地になった久慈市には多くの観光客が押し寄せているそうだ。あまちゃん以外でもNHKの大河ドラマの舞台(ことしの八重の桜は福島県会津若松市)には、いつも観光客が集まる。しかし放送が終わってしまうと、次第にその数は減っていく。熱しやすく冷めやすい日本人の習性を示すものだが、久慈市会津若松市を含む東北の魅力は尽きない。「やがて悲しき」状態にならないことを願うのは、私だけではないだろう。
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写真 1、散歩の途中に見かけた曼珠沙華 2、旅行中の家族が送ってきた飛行機から見たきょうの富士山