小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1161 秋の彩(いろ)は芳香とともに 金木犀の季節

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金木犀の散りし花穀(はながら)降る雨にひとつひとつ光るこの秋の彩(いろ)」

 詩人・歌人である北原白秋の門下生だった吉野鉦二の歌だ。外に出ると金木犀の芳香に体全体が包まれる。10月、秋色が次第に深まっている。開花間もないため雨に打たれても花穀は散っていない。1週間後くらいに雨が降れば、吉野の歌のような秋の彩が出現するのかもしれない。

  金木犀は、大気汚染に弱いというのが定説だ。金木犀の街といわれる中国・桂林は悪化する一方の大気汚染の影響を受けていないのだろうか。先日、山梨県上野原市の高台に行った。そこには金木犀が数多く植えられ、満開の花から発せられた芳香が広範に漂っていた。当然のことだが上野原あたりの空気は澄んでいて金木犀の開花を妨害する汚染物質は少ないのだろう。

 これらの金木犀は「わが世の秋」を謳歌していると思いながら、芳香の中を歩いた。 金木犀=大気汚染に弱いという説に、やんわりとユーモアを交えて異を唱えたのは文芸評論家の杉本秀太郎だ。

《もくせいは汚染した大気中では花をつけない敏感な木だと聞いて以来、果たしてそのとおりかどうか、気をつけているのだが、格別に敏感とも思えない。私の家は京都の町なかにあり、盆地の底の空気は充分によごれているのに、庭に金木犀が咲く。私の勤め先は東山七条の妙法院智積院のあいだの坂道を上っていった先にある。無慮(おおよそ、ざっと、という意味)数千人の女子大生が往来するこの坂には、いつしか女坂という名がついている。

 スポーツカーを路上に停めた若い男たちが、数人かかりで1本の釣竿を女坂の上に突き出しているのをよく見かける。どんな大魚がひっかかるのだろう。とにかく、あんなに女くさい空気が清浄ということはない。それなのに、秋ごとに垣の金木犀は花ともない花をつけ、甘美な香りが女坂を上下する。大気汚染に敏感なのは銀木犀のほうかもしれないと思いつつ、まだ確かめるにはいたらない》(講談社学術文庫・花ごよみから)

 私の家には、2本の金木犀と1本の銀木犀がある。前にも書いたが、1本の根元には死んだ飼い犬hanaの遺骨を埋めてある。昨年冬、伸び過ぎた枝を切り詰めたため、葉が少なくこの秋は花も咲かない。玄関わきに植えたもう1本は今週になって花が開いた。木全体が花に包まれたようで、昨日の雨の水分のせいか枝は重そうに垂れ下がっている。

 庭の隅にある銀木犀は、注意して見てみると白い花がかなり開いていて例年とは様子が違う。 金木犀は枝を切り詰めなければ、毎年いっぱいの花をつけている。一方の銀木犀といえば、花をつけることはあまりなく、ことしのように多くの花が咲いたのは珍しいことなのだ。これまでの金木犀と銀木犀の姿を見ていて、杉本の「大気汚染に敏感なのは銀木犀」という推測は正しいと実感する。

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 写真 1、山梨・上野原で見た金木犀の大木 2、ススキの間に咲く秋の七草の一つ、女郎花 3、開花したセイダカアワダチソウ

 金木犀に関するブログ

hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(16)金木犀とともに