小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

675 戦争を美化した小説 きな臭い著者の意図=『永遠のゼロ』

画像「永遠のゼロ」(百田尚樹著、講談社文庫)は売れ行きが好調でも、危うさを感じる作品である。「現実味に乏しい」「素人小説的だ」と批判的見方も強い。その意見の中には、戦後60数年も過ぎて、生前の主人公(零戦の搭乗員で、特攻で戦死する)の行動を記憶している80代の高齢者を複数探し当てることなどとてもできない、作り話のようだ―という厳しい指摘もある。著者はなぜこの作品を書いたのだろう。 作品に出てくるエリート新聞記者が、太平洋戦争当時の特攻と9・11のテロリストを同列視する展開もある。こんな馬鹿な新聞記者は存在しないという指摘もその通りだと思うし、読んでいて違和感を持った。 2006年に単行本として出版された当時、そう大きな話題にはならなかった。しかし09年7月、講談社から文庫本として再出版されると、雑誌「一個人」が実施している最高に面白い本2009・文庫・文芸部門の第1位に選ばれ、ことし6月現在で8刷りと売れ行きが好調だそうだ。不思議である。 この作品は、特攻隊員として戦死した祖父の生き方を、その孫の姉と弟が生存者へのインタビューで探っていくものだ。戦争を知らない若者の視点で、戦争という極限状況に置かれても家族への思いを貫こうとした祖父の姿を浮かび上がらせるのが狙いのようだ。 しかし、戦時色一色の時代で家族を思い生き抜こうとしていた祖父が、特攻隊員となり、死へと進む絶望の選択をする。このストーリーは国のために命を投げ打つことは崇高だという結論を導き、特攻になった祖父はヒーロー的存在に映る。それは「戦争を美化する」という見方につながる。著者の言動を見ているとそう思わざるを得ないし、著者の意図にきな臭いものを感じるのである。 若い世代には、この作品よりも「特攻は外道」だと厳しく指摘した神坂次郎の「今日われ生きてあり」を読んでほしいと思う。この作品は戦争の不条理を冷静に描いている。戦争を知らない世代、必読の書といっていい。 今日われ生きてあり