小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

580 温父と頑固親父と 日本史有名人「親父の背中」

画像 子どもは親の背中を見て育つといわれる。それだけ、親の生き方は子どもに影響を与える。「日本史有名人、おやじの背中」(新人物往来社)を読んで、それを実感した。世の多くの父親たちは、子どもに生き方の基本となるような背中を見せているのだろうか。 この本は、「黄門様」で知られる水戸光圀からノーベル賞受賞者の物理学者、湯川秀樹まで江戸時代から昭和までの知名人の父親との関係を取り上げている。最近話題のドラマ「坂の上の雲」の秋山真之大河ドラマ坂本龍馬の父親も当然、含まれている。 面白いのは、秋山真之湯川秀樹の父親が対照的であることだ。軍人と学者という違いはあっても、2人には天才的な「ひらめき」があった。それゆえに、秋山は日露戦争で世界に冠たるバルチック艦隊を打ち破る戦略を立て、湯川は素粒子研究の中で中間子の存在を予言し、ノーベル賞に輝く。 秋山の父久敬は、温厚で目立つことのない平凡な人だったという。そんな父から真之と兄の好古(ロシアのコサック騎兵を破り、日本騎兵育ての父といわれる)が生まれたのだ。2人を放任主義で育てた久敬は、実は根性が座っていて、いざという時にそれを発揮した。暴れん坊の真之が海軍兵学校時代、帰省した折に警察官と喧嘩をした際も久敬がきちんと事を収めている。 一方、湯川秀樹の父親は頑固そのものの学者だった。湯川は自伝で「私は父に抱かれた記憶がない。父親の膝に乗ったり、肩先をゆすって物をねだったりしたこともない」と書いている。京大の教授で世界的な地質、地理学者の小川琢治が湯川の父親だ。小川は気性が激しく、だれに対しても率直にものを言い、相手が気に入らぬことを言うと怒鳴り散らしたという。そんな怖い頑固親父に対し、湯川らはあまり近寄らなかった。 しかしその父の影響を受けたのか、4人の兄弟は全員学者となり、大きな業績を残す。長男・小川芳樹(冶金学)、次男・貝塚茂樹東洋史)、三男・湯川、四男・小川環樹(中国文学)である。琢治の蔵書は膨大であり、家は本で埋まっていた。そんな中で育った4人は、怖かった父の後を追うように学問の世界へと足を踏み入れる。 この作品で湯川担当の河合敦は「もし息子を偉い学者にしたいのなら、膨大な本を買い込み、自らこれに親しむことが効果的かもしれぬ」と書いている。いま、本を読まない人が増えているらしい。琢治を見習い、多くの父親たちが読書に励めば、知的な若者が続々と輩出することだろう。