小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

430 「我、拗ね者として生涯を閉ず」 本田靖春の頑固人生

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拗ね者と聞いて連想するのは、社会の暗部にたむろするやくざのような存在か。かつては新聞記者も無頼派を気取り、斜に構えて世の中を見る輩が多かったという。 「孤高の精神」「無冠の帝王」「一匹狼」などの表現は、そうした時代の新聞記者の代名詞でもあった。しかし、現在のマスコミ界でこれらの言葉は死語に近い。価値観の多様化で、新聞記者の世界も様変わりしつつあるからだ。 本田靖春は、読売新聞の社会部記者からフリーとなり「誘拐」「不当逮捕」など社会性の高い作品を残したノンフィクション作家だった。2004年12月に71歳で亡くなったが、「生涯社会部記者」を自称し、少数派、社会的弱者の視点を大事にした。 拗ね者とは、照れ屋ながら一本筋を通す本田の反骨ぶりを示す言葉だ。生涯家を持たず「由緒正しい貧乏人」を実践した。世俗的な成功より言論の自由を守りきることの方が重要という美学、志の高さを持っていた。 それゆえに「貧しい時代を生きた人々はまじめで努力家で、忍耐強く、前向きだった。いまはそれらがすべて失われている」と、現代世相に対する本田の指摘は厳しい。 本田は昭和30年、読売に入社した。入社が決まって知り合いの論説委員を訪ねると、彼は二日酔いで社説の下書きを頼まれる。大胆にも書いてみると、何とそれがそのまま翌日掲載されている。そんな時代だ。 本田はこの分厚い本の中で旧朝鮮・京城時代の生い立ちから社会部記者時代までを驚くほどの記憶力で活写する。もちろん、記憶だけでなく多くのメモも残してあったに違いないと想像する。 とりわけ、社会部時代の描写は光彩を放っている。服装に構わず、無精で個性豊かな先輩記者たち。そして、けんか。派閥もなく元気があった社会部。新聞はいまより面白かった。そんな土壌から売血の実態を追及する「黄色い血追放キャンペーン」が生まれた。 記者として油が乗り切った38歳の時に居心地がよかった読売を退社し、それまで日本では確立されていなかったノンフィクション作家の道を選ぶ。その理由は「新聞発行より事業が第二」という社主・正力松太郎の事業熱に違和感を抱いたからだ。 晩年は糖尿病、がんと闘い、壊疽で足を切断しながらも断続的に透明感あふれる文章を書き続けた。頑固に人に頭を下げずにペンで勝負した本田の一生はうらやましい。社会に一歩足を踏み出したばかりの若い世代に読んでほしい一冊だ。 (「我、拗ね者として生涯を閉ず」は講談社刊)