小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

267 泳ぐ楽しみ 1・5㌔への挑戦

北京五輪の水泳代表はそうそうたるメンバーだ。平泳ぎの北島康介、800自由形柴田亜衣、背泳ぎの中村礼子らの泳ぎを見ていると、異次元に住む生物のようにさえ思ってしまう。それは驚異であり、垂涎の的でもある。

私は15、6年前から休みの日には近所のスポーツジムのプールで泳いでいる。最初はほとんど泳げなかったが、通ううちに次第に泳ぐ距離が増していき、いつの間にか自由形で休みなしに2キロを泳ぐことができるようになった。

スピードはない。ただ、持久力との闘いだった。このプールがいいのは休日の午前中が空いていることだ。私のような遅い泳ぎでも、同じコースには1人がいるかいないか、なので迷惑はかけない。自分のペースを守ってゆったりと身体を動かすことが可能なのだ。

体調の全盛期には、2㌔を泳いでも疲れを感じなかった。しかし、仕事でストレスがたまる職場に移ると、次第に長距離を泳ぐのは苦痛になった。1・5㌔になり、いつしか1㌔が定番になった。

連休のある日、散歩のあとでプールに行った。体が軽い。いつものように、1㌔を軽く泳ぐ心積もりだった。しかし、泳ぎ始めると、頭の中で「1・5㌔に挑戦しろ」という声が聞こえてきたのだ。

その声に応えて、1㌔を過ぎた後、休みなしに500メートルに挑戦した。隣のコースを意識してスピードを上げる。疲れは感じられない。そのまま泳ぎ続けることができ、1・5キロの挑戦に成功した。日記を調べてみると、2004年5月8日以来だから4年ぶりだ。驚くと同時に泳ぐことは楽しみだと痛感した。

かつて「水泳ニッポン」といわれた時代は遠くなった。だが、最初に書いた3選手の泳ぎを見ていると、北京でも十分以上にやれると思う。逆三角形の立派な体型は外国人選手にも劣らない。私もこの選手たちに力をもらったような気がする。