小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

492 フジヤマのトビウオの死

この人ほど、国民的な英雄はいないだろう。水泳の古橋広之進さんだ。水泳の世界選手権が開かれているローマから、古橋さんが亡くなったという悲報が届いた。80歳だった。現地のホテルの部屋で倒れていたという。敗戦で打ちひしがれていた国民に、希望の灯をともした古橋の活躍は、高杉良の「祖国へ、熱き心を」で詳しく描かれている。

ロサンゼルスで開かれた1949年の全米水泳選手権に参加した古橋は、自由形の1500メートルで驚異的世界記録をマークする。古橋ら、日本人選手を自宅に泊まりこませて、面倒を見たのがロス在住の日系経済人、和田勇だった。(7月2日のブログ参照)

古橋のラストスパートはすごい。それまでは体全体を使った泳ぎだったのが、腕をぐいぐい引っ張りこむ泳法に変わる。疲労し切って最後の力をふりしぼって頑張るときに、こうした独特の泳ぎになると、高杉は書く。古橋が世界記録で泳ぎ終えたあと、米国の選手たちは「グレート・スイマー」と呼び掛けたという。米国の新聞は「フジヤマのトビオウ」と書いた。彼の活躍を知った日本国民は狂喜したことは言うまでもない。古橋は戦後日本の復興の精神的支柱だったのだ。

この古橋のライバルは橋爪四郎(ヘルシンキ五輪、1500メートル銀メダリスト)だった。橋爪を見いだしたのは古橋である。古橋と橋爪はその後好敵手となり、2人はいつか世界のトップスイマーになる。古橋が調子を落とした後は、橋爪がエースとして活躍したことは歴史上の話になってしまった。

古橋は引退後、会社勤務のあと、水泳界だけでなく日本のアマチュアスポーツの発展に功績を残す。今回、古橋は国際水泳連盟副会長としてローマの世界選手権に行き、大会のさなかに倒れた。それは古橋らしい亡くなり方だと思う。

古橋は、日本のスポーツ界では「巨人」に位置づけされる1人である。野球では王さんとイチローがそうだ。相撲の双葉山大鵬。そのほかにも、何人かの顔が浮かぶが、国民的ヒーローという意味では古橋が一番なのかもしれない。

スポーツの世界では、ゴルフの石川遼という17歳がニューヒーローとして、注目を集めている。北海道の小樽カントリークラブのツアーで2勝目をあげ、賞金王レースのトップに立った。彼が「巨人」と呼ばれるか日がくるかどうかは分からないが、古橋のように、逆境にあってもがむしゃらにラストスパートの力を出すことができれば、それは可能になるかもしれない。