小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

268 ゆっくり読みなさい 光の指で触れよ

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 玄関を開け、朝の澄んだ空気を味わいながら新聞受けの新聞を取りに行く。一面から社会面までざっと目を通し、気になる記事を読み返す。これが毎朝の習慣。 水戸市の仙波湖でハクチョウ7羽を殺したのが男子中学生2人だったというニュースが出ている。ふざけていたのか、面白半分にやったのかは分からないが、フランスのルナールの「にんじん」を思い起こした。 以前のブログでも感想を書いた。

 この小説は残酷な少年の物語なのだ。具体的にその暴力行為をルナールは記す。 シャコ貝の頭を靴で踏んで殺し、さらにもぐらを石にたたきつけてなぶり殺し、あるいは猫の顔の半分を銃で撃ってしまう。学校の寄宿舎の舎監と生徒の関係が怪しいと校長に告げ口して舎監をクビにさせ、年老いた女中はやめなければならないような企みをする。 にんじんはいつも母親につらくあたられている。その裏返しに動物への暴力や陰険な行為に走ってしまうのだ。

 ハクチョウを殺した中学生の行為も、にんじんに似ていると思う。少年たちの心には残虐性が秘められている。それを抑えるのが家族であり、社会なのだろうか。 そんなことを思いながら、池澤夏樹の「光の指で触れよ」を読み終える。

 心に不思議な温もりが伝わる。理想的な家族がある。それが崩壊する。現代は、そうした崩壊へと進む芽はどこの家族にもあるのかもしれない。 風力発電の技術者、林太郎とアユミ夫婦。高校生の森介と幼い娘のキノコがいる。林太郎の不倫が発覚し、アユミはキノコを連れ、友人を頼ってヨーロッパへと旅立つ。この崩壊した家族の再生への道のりをエコロジー有機農業といったテーマを取り入れ、池澤は筆を進めていく。

 決して、声高に何かを訴えるような小説ではない。池澤は読者に「ゆっくり読みなさい」という思いでこの作品を書いたに違いないと勝手に解釈する。 それは、ゆったりとした時間の過ごし方を忘れた私を励ますように、どの頁からも登場人物たちの会話が耳に入ってくるからだ。 私は父の顔を知らないで育った。

 それだけに、大人の都合で日本を離れて母親とヨーロッパに行く幼いキノコの存在が気になった。最終章の「日本に帰れてうれしいな」というキノコの独白には、拍手を送りたくなった。キノコはどこにいても輝いているのである。