小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

136 久間氏の辞任に思う 無定見な政治家の失敗

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広島・長崎に原爆投下を命じたのは米国の第33代大統領ハリー・S・トルーマンだ。ルーズベルトの急死によって、副大統領在任88日で大統領に昇格した民主党出身のトルーマンは、有名なポツダム宣言が出る一日前の1945年7月25日に日本への原爆投下を決断した。 議会では共和党の大物議員が日本への原爆使用を反対していた。そのためか、トルーマンはいち早くソ連スターリンに伝え、共和党共和党系の将軍(マッカサーを含む)らには投下の2日前にようやく通告したという。 トルーマンと、後に大統領になるアイゼンハワーことアイク元帥、ブラッドリー陸軍大将との昼食会の席でもアイクは、日本は敗北同様にあるとして、追い討ちをかけるような原爆投下には反対した。さらに恐るべき威力を持つ新兵器をアメリカは最初に使用する国になってはならないとも進言したという。(仲晃著、黙殺より) しかしトルーマンは最後まで原爆投下の正当性を主張した。その背景には米軍の損失を最小限に止めることや、実戦での評価、戦後の覇権争いでソ連に対して優位に立つという目的があったとする一方、自らを男らしい決断力のある存在として誇示する考えと、黄色人種への原爆使用をためらわない人種的偏見があったとする説もある(フリー百科事典『ウィキペディア』)という。 長崎選出の自民党議員である久間防衛相が「米国の原爆投下はしょうがない」と発言し、被爆者だけでなく、日本の国民に大きな衝撃を与えた。その結果、発言から3日目のきょう、大臣を辞任した。 日本に原爆を投下した当時からマッカサーをはじめ米国内にさえ、この大量破壊兵器の使用を強く批判する声があったのを久間氏は知っていたのだろうか。予想通り、広島・長崎ではイデオロギー抜きで久間発言に対する強い怒りが広がった。当然だ。 政治家の資質で大事なのは、国をどのような方向に導いていくか、先を見通すことである。先を見通すというのは物事の本質を見極めることであり、鋭敏な感覚、想像力が備わっていなければならない。それがなければ政治家とはいえない。単なる政治屋だ。 ところが、久間氏にはそれが感じられず、ただ思いつきで言葉を発しているのみのように思えてならない。ある大学教授が安倍内閣を「史上最低の内閣」と評したが、その通りだろう。無定見な閣僚たちの行動がそれを示している。 発言直後は、これを報道した記者を批判していた久間氏は、自分への非難の強さを知ると、釈明し謝罪した。これぞ朝令暮改である。 きょうの辞意表明の記者会見では、安倍首相や自民党に迷惑をかけたというのみで、被爆者には何の謝罪もしなかった。国民のための政治家のはずなのに、久間氏の場合は、首相と自民党のための大臣だったことが知られてしまった。政治家失格である。